【対談】なぜ沖縄重量挙げは強い? 五輪入賞者・糸数陽一と平良朝治が語り尽くす


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 オリンピックの競技別では断トツの県勢最多となる6人のオリンピアンを生み出してきた沖縄の重量挙げ。1984年のロサンゼルス大会では平良朝治が全競技を通じて県勢初の五輪入賞を達成。2021年は、日本男子のエースとして、東京五輪出場を目指す糸数陽一のメダル獲得に期待がかかる。沖縄の〝お家芸〟をそれぞれの世代でけん引してきた両雄がオンラインで対談し、東京大会への展望や県勢の強さの秘訣(ひけつ)を語り合った。紙面には収まりきらなかった2人の濃密な対談内容を詳報する。(司会・長嶺真輝)

■入賞とメダルの違い

(左)ロサンゼルス五輪重量挙げ67・5キロ級 スナッチ、ジャークでいずれも自己最高を記録し、両手を挙げて喜ぶ平良朝治=1984年8月1日、米・ロサンゼルス (右) リオデジャネイロ五輪重量挙げ男子62キロ級 ジャークとトータルで日本記録を更新した糸数陽一の試技=2016年8月9日、ブラジル・リオデジャネイロ

 ―2人ともオリンピックで入賞している。入賞を決めた瞬間の気持ちは。

 平良 ロス大会の時はあまり期待されていなくて、自分のペースで試技に臨めた。全6本成功し、自己記録も更新できた。当時は「良かった」と思ったけど、メダリストとは5キロほどの差。しばらくして「銅でもいいから、メダルを取っていればまた違う世界があったんだろうなあ」という思いも湧いてきた。

 糸数 私もリオで6本挙げて自己ベストを更新したけど、のちに朝治さんと同じ気持ちになった。(3位と3キロ差で)「なぜあの時もうちょっと上を目指していけなかったのかな」という悔しい気持ちは年々強くなった。挑戦できなかった当時の自分は、まだまだ心が弱かった。ただ、やっぱり競技を楽しんで、結果も出せればそれが一番最高なことだと思う。東京五輪に出場したら、ガチガチにならずに自分本来の試合をしないといけない。「自分に挑戦する」「自分に勝つ」という気持ちを大事にして臨みたい。

 

 ―どんな時にメダリストとの違いを感じたのか。

 糸数 リオ大会の後、日本に帰ってきて、銀座でメダリストがパレードをやっている映像を見た時に「あと3キロ多く挙げていれば、自分もあのパレードに参加できたのかな」と想像したりした。あと各地へお礼に回った時に、皆さんは入賞も喜んでくれるけど、やっぱりメダルがあった方が恩返しという意味では形として残る。いい環境で競技をやらせてもらっている。自分だけの力じゃないと常々思っているので、お世話になった人に恩返しするためにもメダルを取りたい。

オンライン対談で東京五輪への意気込みを語る糸数陽一=東京都新宿区

 

―東京大会に向けての意気込みを。

 

 糸数 開催が1年延期になり、モチベーションの維持が難しい部分もあったけど、練習がままならない時期もある中で「この競技が本当に好きなんだ」と再認識できた。だからこの時間も無駄じゃなかった。時期が延びた分、さらに強くなり、2021年は最高のパフォーマンスができるようにしたい。コロナ禍で暗いニュースが多いけど、お世話になった人たちに結果で恩返しをして、県民の皆さんに明るいニュースを届けられたらいいなと思う。一日一日を大切にして練習に励んでいきたい。

 平良 月並みだけど、けがをしないように本番に向けて取り組んでもらいたい。プレッシャーはあまり感じないかもしれないけど、見えないプレッシャーがあるかもしれない。それはあって当然。なんくるないさー、じゃないけど、五輪出場となれば2回目でもあるし、楽しむくらいの気持ちで頑張ってほしい。

 糸数 朝治さんは2度オリンピックに出場してますけど、2回目に向けてどのように気持ちをつくっていったんですか。

 

 平良 ロス五輪の時が23歳。沖縄の重量挙げは伝統的に国体の結果を大事にしてきたから、毎年、国体で1番を取ることを目指して、日本選手権も勝って、と思って過ごしているうちにソウル五輪を迎えた。一年一年をしっかりやろうという思いで過ごしていたね。ソウルを迎える頃には膝や肩を痛めてロスから記録も落ちたけど、心置きなく引退できた。

■選手村ってどんな場所?

糸数にエールを送る平良朝治=那覇市

 ―五輪に出たことで得た独特な経験や試合会場の雰囲気は。

 平良 私は小さな具志頭村の出身ですけど、壮行会を盛大にやってもらった。ロスの時は同郷のボクシングの平仲(信明)さんと一緒に開いてもらい、千人くらい来てくれた。その時は「五輪に出るということは大変なことなんだな」と感じた。会場の雰囲気は世界選手権とも違って、観客の数が多くて圧倒された。沖縄からも応援に来てくれた。あと、オリンピックだなと感じさせられたのは選手村の充実。レストランや映画館、断髪屋もあって、大変いい経験をした。

 糸数 4年に1回ということもあって、メディアも含めて注目度が全然違う。ウエイトリフティングの代表ではあるけど、日本代表としてまた違った、背負うものができる。いろんな競技の方との接点も多い。選手村では陸上のウサイン・ボルト選手を間近で見られて、テンションが上がった。刺激も多い。大会を楽しもうという気持ちが強かったので、結構リラックスして試技に臨めた。ロンドンの時は予選で1キロ差で出場できなかったので、リオはいい報告を持って沖縄に帰れたことはすごく良かった。

 

■なぜ沖縄は強いのか

  ―なぜ沖縄の重量挙げが世界と戦えるレベルまで強くなったと考えるか。

 平良 1970年代中盤から、伊波清孝さん(県ウエイトリフティング協会顧問)らが本格的な強化に乗り出し、三宅義信さん(東京五輪金メダリスト)をコーチに招いたり、県内で強化合宿をしたりした。マイナーと言われるウエイトリフティングだけど、マスコミにも協力をお願いして多くの取材をしてもらった。77年青森国体の少年団体で優勝を飾り、翌年の長野国体も連覇して、沖縄強しと夜明けを迎えた。それが今につながる。「沖縄の人は体形が向いている」という人もいるけど、それは科学的に証明されているわけじゃない。(競技人口の)所帯が小さいこともあり、先生方が全県の子どもたちを一堂に集めて強化合宿をして、他校の生徒にも当たり前に助言をしてきた。選手も一生懸命取り組み、その熱心さが連綿と続いている。

 糸数 シドニー五輪に出場した(平良)真理先生に高校1年時に指導を受け、高校2年の時には大城みさきさんが北京五輪に出場した。アトランタ、シドニーに出た吉本久也さんや朝治さんも含め、身近にオリピアンがたくさんいたことで、五輪は目指すべき場所だと思えた。その人たちに世界を目指す心構えなどを聞けたことはすごい財産になった。次の世代となる子どもたちには、私が経験したことをさらに伝えたいと思う。
 

リオデジャネイロ五輪重量挙げ男子62キロ級 ジャークとトータルで日本記録を更新した糸数陽一の試技=2016年8月9日、ブラジル・リオデジャネイロ

 ―2人とも初めは大湾朝民先生(県ウエイトリフティング協会顧問)に指導を受けている。どのような指導だったのか。

 糸数 中学2年生の時に出会って、半ば強引に…(笑)。高校1年まで見てもらったけど、今でも覚えてるくらい、とにかく練習がきつかった。けがをしづらい体作りはその時にできたので、とても感謝している。沖縄に帰ったら今でも指導を仰ぐこともあり、常に新しい視点で教えてくれる。原点に戻ったという感じで、会うと「調子に乗っちゃいけないな」と思わせられる。

 平良 僕が教えてもらっていた当時はまだ先生も現役選手だった。一緒にトレーニングもして、大会にも出た。先生はとにかく練習量を重視していた。こなさないと強くはなれないと。今でも私もそう思っている。僕からするとお兄さんでもお父さんでもある感じの人。
 

■伸びるコツは

ロサンゼルス五輪重量挙げ67・5キロ級 スナッチ、ジャークでいずれも自己最高を記録し、両手を挙げて喜ぶ平良朝治=1984年8月1日、米・ロサンゼルス

 ―近年、県勢の学生たちは全国での成績が伸び悩んでいる。後輩にエールを。

 糸数 最初は筋肉痛で体が痛いけど、やり続ける中で記録が伸びる達成感とか、仲間と盛り上がって全国にいけた時は「やっててよかった」という気持ちになった。競技の魅力は続けてみないと分からない。今は学生もスマートフォンなどで動画も見られるから情報が多く、だからこそ、基礎がおろそかになっていないかと思うこともある。自分が高校生の頃はスナッチ、ジャークの基本をひたすら体に覚え込ませていた。きついけど、まずは基礎を大事にしながら全力で練習して、きつい中でも楽しさを見いだしてほしい。帰省した際には、自分が挙げる姿を見て何かをつかんでくれたらうれしい。日本代表合宿に招集されるメンバーには、男女とも県勢がたくさんいて「沖縄に還元しないといけないよ」という話はみんなにしている。沖縄の子たちに少しでも見てもらえる機会をつくる活動は続けたい。

 平良 (拍手)。素晴らしい。ぜひやってほしい。やっぱりまずはこの競技を好きになることが大事。きっかけが大変だと思うけど、この競技は記録で努力の足跡が見えるから。記録が1キロでも2キロでも伸びれば成功体験になる。新記録が出ることは本当にうれしい。それを積み上げて、目標までいってほしい。今の学生は言われたことをこなすことは上手。ただ、そのプラスアルファも考えてほしい。強くなりたいと思うなら、人が10やったら、自分は11、12やらないといけない。それはコロナ禍のような状況でも同じ。朝早く起きて練習しようとか、放課後や夜にさらにやってみようとか、強い気持ちで臨んでほしい。
 

【略歴】

 糸数陽一(いとかず・よういち) 1991年5月24日生まれの29歳。南城市の久高島出身。豊見城高、日大出。警視庁所属。2016年リオデジャネイロ五輪男子62キロ級で4位、17年の世界選手権では同級で銀メダルを獲得した。

 平良朝治(たいら・ちょうじ) 1960年11月30日生まれの60歳。具志頭村(現八重瀬町)出身。南部工業高、法政大出。84年ロサンゼルス五輪男子67・5キロ級で5位入賞、88年ソウル五輪は同級で9位。全競技を通じて県勢初の2大会連続の五輪出場を果たした。2019年から県立図書館館長。