電話の呼び出し音が暗い部屋に響く。NHKの紅白歌合戦にも出場経験のある人気バンド「オレンジレンジ」のベーシスト、YOH(37)=ヨー、沖縄市出身、本名・村山洋=の幼少期の記憶だ。アルコール依存症の父親は借金を抱え、家にはいない。借金取りからの電話はやまなかった。父親の存在が幼い心に影を落としていた。
曾祖父は旧越来村長、祖父は公務員。家具の設計士をしていた父親は、先祖代々の土地に、家族で住むための家を建てた。中庭のある、凝った造りの家だった。
新しい家で始まった生活は長く続かなかった。幼稚園を卒園する頃、父親は家を出た。当時、パソコンが急速に普及し始めた。父親はデジタル化する業務に対応できず、設計の仕事が回らなくなっていた。卒園式が家族で最後に撮った記念写真となった。映る父親の表情は硬い。その後、父親の借金はどんどん膨らんだ。
母親は沖縄市の一番街にあったブティックを辞め、家計を支えるためスナックで働くようになった。小学生になって帰宅しても、家にいるのは2歳下の弟だけだ。少しでも節約になればと子ども心に気遣い、リビングの明かりだけをともした。
借金取りからの電話は、テレビドラマで見るような威圧的なものだった。「父親はそこにいるんだろ」。受話器越しのすごむ声に、「いない」と答え続けた。弟が電話に出た時は、慌てて受話器を取って代わった。「親父はどうなっているのか」。母親に質問したかったが、困らせたくなくて聞けなかった。「家を守らなければ」。そんな思いで必死に耐えた。
近くに住んでいた父方の祖母は、たびたび自宅を訪ねてきた。呼び鈴を鳴らすが、YOHは居留守をつかった。祖母は畑で採れた野菜をビニール袋にたくさん詰め、玄関のドアに掛けて帰った。「父親が原因で気兼ねしていた。おばぁと分かっていたのに出られなかった」
立派な家に似つかわしくない、つらい生活。皮肉なコントラストが記憶に深く刻まれた。家にあったラジカセの三角ボタンを押すと長渕剛の「とんぼ」が流れた。「のがれられない闇の中で今日も眠ったふりをする」「ああ しあわせのとんぼよ どこへ」。家族の誰かが録音したのだろう。
「当時は意味も分からず聞いていた。今、詩を見ると、そりゃ染みるよなって思う」
(敬称略)
(稲福政俊)
借金・別居・依存症…亡き父、喉元の骨のように オレンジレンジYOHさん(1)<ここから 明日へのストーリー>
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に続く