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借金・別居・依存症…亡き父、喉元の骨のように<ここから 明日へのストーリー>YOHさん編(1・後編)


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ライブ収録で演奏するオレンジレンジのYOH=2020年12月14日、沖縄市中央のセブンス・ヘブン・コザ(提供)

オレンジレンジYOH、借金取りに耐えた幼少期「しあわせのとんぼ、染みるよな」から続く)

 

 人気バンド「オレンジレンジ」のベーシストYOH(37)=ヨー、沖縄市出身、本名・村山洋=は、父親の借金で苦しい幼少期を送った。母親はスナックで働き、夜は幼い弟と2人きりの生活。記憶に残るのは暗い部屋に響く借金取りからの電話だった。苦しい暮らしを誰にも相談できないまま、小学校生活を過ごした。

 子どもの頃、運動は好きだったが体は弱く、結果を残せなかった。勉強にも興味が湧かず、生きる糧は音楽だった。なぜか、ギターやベース、ドラムなど、音楽を構成するさまざまな音を聞き分けることができた。「自分の取りえは音楽だけだ」。ひたすら楽器を弾いて腕を磨いた。

 高校生だった2001年、中学生からのバンド仲間に2歳下の弟を加え、オレンジレンジを結成した。卒業後、大手レコード会社に所属し、人気バンドへの階段を着実に上った。

 その間も、父親の存在が頭を離れなかった。別居中の父親は突然、連絡をよこしてキャンプや釣りに誘った。自分の趣味の範囲で、子どもに体験させようとしたのだろうか。YOHはそう感じたが、釣りを好きになることはなかった。

 たまに会う日も、父親は酔った勢いで「お前は何で音楽なんかやっているのか」と声を荒らげた。2003年に発表した「上海ハニー」がヒットした際、父親は「お前のおじいちゃんは戦争中、中国の前線に行った軍人だ。それなのに、どういう解釈でこんな曲を作ったのか」とののしった。

 父親と同じ島に暮らしている。YOHはそう考えると、喉元に魚の骨が突き刺さっているような感覚を覚えた。13年前、父親は亡くなった。本人は認めなかったが、アルコール依存症だった。「おやじに対する悔しさは、今も忘れていない」

 07年に結婚し、2男2女に恵まれた。自分が生まれた家庭と、築いた家庭。二つを重ねながら、家族とは何かと、問い続ける。

 「こんなことがあったから、家族ってなんだろうって考える。父親って何だろうって」

 YOHにとって幼少期の出来事はいいものではなかった。でも、家族の意味を考える礎になった。子どもたちには自身の生い立ちを語り、こう伝えている。「何もない暮らしの中で、何とか楽しいことを探していたよ」。子どもたちの年齢の時、何を感じていたのかを思い出しながら。
 (敬称略)
 (稲福政俊)

全3回連載。次回は人気絶頂のさなかの「めまい」