宮古島市長選きょう投開票 座喜味氏「市民主役に」下地氏「和の政治」 両候補が最後の訴え


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 【宮古島】宮古島市長選挙が17日、投開票される。無所属新人の座喜味一幸氏(71)=社民、社大、共産、立民推薦=と無所属現職の下地敏彦氏(75)=自民、公明推薦=の両陣営は16日、市内で打ち上げ式を開き、最後まで支持を呼び掛けた。 


座喜味氏最後の訴え 市民主役に刷新する

ガンバロー三唱で気勢を上げる座喜味一幸氏(中央)と支持者ら=16日午後、宮古島市平良

 大変な選挙だと感じている。市政を変えるという市民のパワー、市民のかける思いを重く感じている。だから負けてはならない、負けるはずがない選挙だ。

 市民のための政治をやるために、市民にぜんまいを巻かれて私たちはワンチームになった。遊説をしていて手を振ってくれる市民に拍手で返す。あなたたちこそが主役だと手を振っている。市政は平等でなければならない。当たり前のことだ。この当たり前の原点に返ろう。

 市民が自らの手に政治を取り戻すための、歴史的な大事業だ。命懸けでこの熱い思いに応えなければならない。4万4千人の1票を投票箱に入れよう。勝利は目の前だ。市政を刷新しよう。政治を変えよう。

 座喜味 一幸氏(ざきみ・かずゆき) 1949年12月生まれ、宮古島市平良出身。琉球大卒。72年、沖縄総合事務局入局。95年、宮古土地改良区事務局長就任。2008年県議選で初当選、3期務めた。

 

〈応援弁士〉

 国仲昌二選対本部長 市政を変えるという大きなうねりが宮古島中に広がっている。この流れは止めることはできない。市民を分断、差別するような、一部の業者だけに利益がいくような現市政はいらない。最後まで気を引き締め、座喜味市長を誕生させよう。

 屋良朝博衆院議員 市政を変えろという風が吹きまくっている。市政を変えるのは今しかない。座喜味しかなし得ない。市民のための政治、行政こそ市民の幸福の最大化を図ることができる。宮古島の風を嵐に変えて沖縄本島に届け、日本全体を覆い尽くそう。

 伊波洋一参院議員 宮古島の宝を成長させ、暮らしを支える宮古島市をつくる。市民に応えられる市政を実現できると確信している。街頭で一人一人が私たちに手を振る。これまでにない盛り上がりを感じている。この盛り上がりで勝てなければ嘘になる。

 高良鉄美参院議員 旧市町村が一緒になって発展しないといけない。均衡した発展にしよう。市政を変えたいと皆が思い、立ち上がったから今日がある。明日は市政が変わる大きな日になる。国政に宮古の風を吹かせよう。そのために最後の力を振り絞ろう。


下地氏最後の訴え 和の政治で生活守る

ガンバロー三唱で気勢を上げる下地敏彦氏(中央)と支持者ら=16日午後、宮古島市平良

 選挙は公約で勝負しないといけない。市政刷新をするという相手候補の政策チラシを見たが、いくら見ても私の政策と一緒だ。3期12年間、さまざまな事業をやってきたが、この政策を彼も認めていることになる。私の政策は間違っていない。

 これまでやってきた政策をさらに深めて、市民の生活にもっと密着した形の政策をこれからもやる。

 今まさにコロナの問題が非常に大きな課題だが、宮古島は大丈夫だ。しっかりと行政が皆さんの生活を守る。私に任せてほしい。

 市民と市長が一緒になる。議員も一緒になる。これからも18人の議員と一緒に行動する。そういう和をもった政治こそが島の安定につながる。

 

 下地 敏彦氏(しもじ・としひこ) 1945年12月生まれ。宮古島市平良出身。琉球大卒。県宮古支庁長、旧城辺町助役、県漁業協同組合連合会代表理事会長などを歴任し、2009年1月から現職。

 

〈応援弁士〉

 下地義治選対本部長 市民の安定のために一生懸命頑張ってきた。相手はこれを刷新すると崩しにかかったが、われわれの団結は絶対に負けていない。宮古島の発展のために本当に頑張る下地敏彦を応援できて誇りに思う。最後の最後まで応援をお願いしたい。

 西銘恒三郎衆院議員 保守中道の考え方は絶対に間違っていない。オール沖縄の革新の政治思想は、どこかで破綻する。人間に一番合っているのが保守中道だ。宮古島の将来を任せて安心、子どもたちの将来を託して安心。下地敏彦しか島のリーダーはいない。

 下地幹郎衆院議員 どこに行っても、下地敏彦を勝たせないといけない、勝たないと宮古が大変になる、との危機感があった。コロナ禍で未来が描けない中で、誰に市政を頼ったらいいのか。下地敏彦でなければならない。そういう思いに全ての人がなった。

 高吉幸光公明党宮古支部連合会会長 一番の実績は財政再建だ。お金があるから大型事業も、子どもの貧困対策もできる。「箱物」も、必要なものをしっかり造ったということだ。12年前はこれができないほどの財政状況だった。成し遂げたのが下地敏彦だ。