大城美佐子さんは、いつでも庶民の歌を歌い、彼らの心情をおおらかに表現してきた人だった。
かつて民謡の歌い手は、今風の民謡ショーなどではなく、ほとんどが個人個人で料亭など酒場で歌っていた。大城さんとは、料亭で偶然大城さんの歌を聞いた(民謡歌手の)松田永忠さんの紹介で出会った。美声ではないが昔風の味のある歌声で、これは面白い歌い手だと、知名定繁さんに紹介し、やがて、知名さんが作詞・作曲した「片思い」(62年)で世に知られた。
(70年代に)嘉手苅林昌さんと組み、明治時代後半から昭和の初めごろの庶民に親しまれた芝居歌謡や遊び歌も世間に紹介した。
当時、私たちより上の世代は歌を評価する時、レコードが何枚売れたかではなく、どれだけ大衆に親しまれたかを基準にした。「沖縄の民謡は低俗で卑わい」などと言う学者がいる時代でもあったが、大城さんの歌は大衆に根強く支持され、今も歌い継がれている。大衆にとっても特別な存在だったのだろう。
何でもこなせるから僕らは大城さんを「怪物」みたいに思っていた。新しい歌もよく歌い、古い歌もたくさん掘り出してきて、島々の歌も紹介した。一つ一つが面白く、残した名曲は多すぎる。
歌は語り、自分の思いを伝えるためのもので、声の良しあしではない。大城さんは、高い表現力とともに、土着の味わいを大いに出した。歌い手によって同じ歌でも表現方法は何通りもあるが、その中の主軸になる(歌の世界を最も表現できる)歌い方を示してきた。その歌は永遠に歌い継がれるだろう。
(放送人、談)