1993~94年度に県が実施した日本軍第32軍司令部壕の試掘調査で、司令部中央部の到達まで目前だったことが報告書から明らかになった。中央部を調査することは、多くの県民を巻き込んだ沖縄戦の実相を記録する上で命題といえるが、戦後75年余を経ても実現できていない。翌年度から試掘調査は実施されず、県政交代もあって中断した。県は費用と落盤など壕内の悪条件を中断の理由としている。司令部壕の全貌を県が自ら調査し、実態を把握する機会は失われたままだ。 (中村万里子)
司令部中央部は情報室や作戦室、命令下達所など軍の主要機能が集まり、各前線に無謀な「玉砕攻撃」を指揮した場所でもある。5月22日、首里の司令部壕内で会議を開き、本土決戦までの時間を稼ぐため、降伏せず住民を道連れにしてまで持久戦に徹する方針を決定。戦略持久戦継続のための南部撤退は、県民に多大な犠牲を強いた。その事実は「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓と共に認識されてきた。司令部壕はそれを決定した場所だ。
現県政は、沖縄戦の実相を伝え、平和を継承していくため、首里城再建と並行し、司令部壕の保存・公開の検討を進める方針だ。75年以上放置されてきた司令部壕を歴史的遺産として保存・公開していく意義は大きい。県の本気度が試される。