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女性の活躍を支援していたのに、自分は?出馬打診を一度断って気づいたこと<「女性力」の現実 政治と行政の今>10


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1995年に開催された沖縄市女性模擬市議会の議事録をなつかしそうに眺める北中城村議の喜屋武すま子氏=北中城村島袋公民館

written by 新垣若菜

 「自分自身の言行不一致にショックを受けた」。2020年12月、北中城村議会で初の女性副議長になった喜屋武すま子氏(72)はこう語る。沖縄市役所職員を退職後、村議会選挙への立候補の誘いを受けたが初めは断った。それまで女性行政などに関わる部署を経験し、女性があらゆる分野で活躍することを望んでいたが、その時は自身が政治家になることを考えることができなかった。

 本部町出身。小学6年生の時に家族で沖縄市に移り住み、両親は市園田に本屋を開店した。下校後は本屋の片隅で雑誌「婦人公論」や「主婦と生活」を読みふけった。「そのころから女性の社会進出を夢見ていたのかもしれない」と話す。

 県内大学を卒業後、1974年に沖縄市議会事務局に採用された。91年に女性行政を担当する女性政策推進課が新設されることを聞き、直談判の末に同課への出向がかなった。役場内では「男性対策課だ」「チューバー(強い)女の集まり」とやゆされることも。「自分たちではかわいい女性のつもりだったから、めげなかった」

 出向1年目は「働く婦人の家」を担当した。女性の学ぶ場を広げようと昼は趣味講座、夜は教養講座を開いた。子育てに追われ、参加が厳しいとの声を受け、託児所も設けた。女性が担うことが多い家事を男性にも体験してもらうために男性の料理教室も催した。

 一方で、地域の運動会にまで顔を出し、何とか料理教室に参加してもらった男性から「料理をしたら、高い食材ばかりで家計に影響すると妻に叱られた」と意見をもらうことがあった。女性が家事をする方が効率がいい―という女性自身の家事に対する考えを改め、「女性が男性を育てる」という視点を持つことの大切さに気付いた。

 2年後、本庁に戻った。そのころ市は女性の社会参加を目的に女性行動計画「女性きらめきプラン」を策定。それに基づき95年7月に女性模擬議会を開催した。女性団体代表者や一般公募で36人の“女性議員”が選ばれた。議題は、トートーメーの継承や高齢者と障がい者の雇用、街の美観など多岐にわたった。

 議会事務局での経験を買われ、議場運営を担当した。「女性が議場を使うと汚れると言われる時代だったが、進行も議題討論もよくできていたと思う」。後に、模擬議会の参加者1人が政治家の道を歩んだ。女性の学びの場になったのだと感じた。

 退職後、2014年の北中城村議会選挙の立候補者として声が掛かったが、夫の馨さんが以前村長だったことから、「一家に政治家は2人も要らない」と断った。親の介護もしたかった。ただ、女性の活躍を望んできたにもかかわらず、白羽の矢が立った時に行動に移せない自身が情けなかった。約1カ月半後、「やります」と声を上げた。

 議員当選後はどの場でも積極的な発言を心掛けた。「意見が混ざり合い、より優れた政策を生み出すから」。男性議員から不愉快な言葉を掛けられたことがある。行政視察のホテルの部屋について「僕と一緒にする?」。冗談のつもりだろうが、どうしても許せず、「セクハラですよ」と強い口調で返した。それ以来、嫌な言葉を掛けられることはなかった。

 表面的に見たら女性議員への差別は感じない。ただ、いまだに「政治は男性」という意識の強さと「家庭は女性」という周囲の求めを感じる。「男性に比べて、女性が意見の場に出るチャンスはまだ少ない。それならば、断らないこと。臆することなく意見すること」。それが現状を打破する一歩だと考えている。


世界的にも遅れている日本の「ジェンダー平等」。玉城県政は女性が活躍できる社会の実現を掲げ、県庁内に「女性力・平和推進課」を設置しましたが、政治や行政分野で「女性の力」を発揮する環境が整わない現状があります。女性が直面する「壁」を検証します。報道へのご意見やご感想のメールは、seijibu@ryukyushimpo.co.jpまで。ファクスは098(865)5174

 

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