沖縄戦の若者 知って 「全学徒隊の碑」 実相後世へ


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八巻太一さんの功績や学徒隊のことを後世に残したいと語る上原はつ子さん=那覇市天久の新報天久ビル

 【那覇】「今の中高生と同じ年代の若者が戦場へ駆り出されたこと、『全学徒隊の碑』があることを中高生に知ってほしい」と話すのは、上原はつ子さん(92)=那覇市。上原さんは1930年3月に設立された私立昭和女学校(現那覇市泊、後に高等女学校)の元生徒で、同校の創設者の八巻太一氏が沖縄で商業教育を柱とした女子教育に尽力した功績も後世に残したいと願っている。

八巻太一さん(梯梧之塔より)

故八巻氏の功績と継承願う

 八巻太一氏(1878~1952年)は山梨県出身。11年読谷山尋常高等小学校の第19代校長として沖縄に赴任し、同校の校歌の作詞も手掛けた。名護尋常高等小学校校長、沖縄女子師範学校、第一高等女学校教諭を歴任した。

 退職後に、私財を投じて沖縄昭和女学校を旧崇元寺町(現那覇市泊)に設立した。

 沖縄戦当時、看護学徒として同校の生徒も戦場に駆り出され、56人が犠牲になった。同校は45年5月に戦闘で焼失し、廃校となった。

 戦後、八巻さんは沖縄戦で犠牲になった同校出身者をしのび、「梯梧之塔」(糸満市米須)の建立に尽力。八巻氏が来県してから今年で110年となる。

 一方、糸満市摩文仁の平和祈念公園内には、戦場に動員された県内21校の学徒隊の合同碑「全学徒隊の碑」(戦没者数総計1984人)が2017年に建立された。悲惨な戦争の実相や学徒動員の歴史を後世に伝えようと、上原さんら昭和高等女学校の同窓生や県立第一中学校の元学徒らでつくる「一中二〇(にいまる)会」などが県に要望し実現した。上原さんは「沖縄戦で21の師範学校・中等学校の生徒らが学徒隊として動員されたという事実を風化させてはならない」と切望している。

(中川廣江通信員)