消えた母、父の死…逆境を乗り越え、夢だった国連機関職員に 中城出身・仲村さん


消えた母、父の死…逆境を乗り越え、夢だった国連機関職員に 中城出身・仲村さん
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 【中城】国際金融機関で働く仲村秀一朗(ひでいちろう)さん(33)=中城村出身=が1月、外務省のJPO派遣制度試験に合格した。3月に国連開発計画(UNDP)で防災の専門職員としてアフリカへ派遣される。多感な時期に家庭崩壊など逆境を乗り越えてきた仲村さん。海外での経験を重ねることで、苦しい立場の人に手を差し伸べ、誰かの役に立つような仕事をしたいと考えるようになったという。

 村南上原で生まれ育った。父は定年退職後、朝から酒を飲み周りに迷惑をかけていた。父と口論が絶えなかった母は、仲村さんが琉大付属中2年の夏に突然いなくなった。親戚夫婦が仲村さんと妹らの面倒を見た。

 好きだった英語の勉強は続け普天間高、沖縄キリスト教学院大に通った。大学3年の2009年に嘉手納基地内の消防で働くことが決まり、学業の傍ら消防士の勤務をこなした。何度も人の死に直面し「人はいつ死ぬか分からない。基地のフェンスの中でキャリアを終えるのは嫌だ」と考えるようになった。

 高校時代から国連機関で働くことが夢で、大学卒業後の12年、通信制の吉備(きび)国際大大学院(岡山県)に通い、防災関係の修士号を取得した。海外経験を積むため17年に消防の仕事を辞め、国際協力機構(JICA)でジャマイカへ。防災対策などの経験を重ね、19年から県出身者として初めて、米州開発銀行(IDB)で勤務する。IDBでは気候変動や自然災害に関して調査し、政策を提言する業務などを担う。

 海外で働くと、低所得の家庭の子どもは低所得の仕事に就くという“コミュニティーの階層”が、どこにでもあることに気付いた。それを打破するには勉強を重ねたり、コミュニティーから出たりして、選択肢を広げることが大事と考えている。

 父は11年、自宅で倒れた。いつものように酔いつぶれているだけと思い、仲村さんはそのまま消防へ出勤した。その後、病気だったことが判明し、帰らぬ人になった。仲村さんは「父を見捨てた」と責任を感じ、償いのため人の役に立ちたいとの思いもある。

 2月末でIDBを辞め、UNDPの防災担当としてアフリカ南部のマラウイに2年間赴く。将来は沖縄に戻り、防災関係で「沖縄のためになることをしたい」と目標を掲げる。「一人で世界は変えられないが、一人の世界は変えられる。少しでも人の役に立ちたい」と挑戦は続く。
 (金良孝矢)

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