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「名もないお店」は創業45年のアクセサリー店 誰かの思い出の店に<まちぐゎーひと巡り 那覇の市場界隈15>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
「名もない店」との看板を出す創業45年の「仲村アクセサリー」=那覇市松尾

 那覇市第一牧志公設市場の安全祈願祭が執り行われた日、ぼくはどこか狐(きつね)につままれたような気持ちになっていた。何度となくまちぐゎーを歩き回ってきたけれど、そこに立って風景を眺めたことは一度もなかった。ここにはかつて市場があり、これから新しい市場が建設されるのだから、その場所に立って周囲を見回すことができるのは、あれが最初で最後になるのだろう。

 がらんとした更地(さらち)に立つと、フェンスを隔てたすぐ隣に、赤紫色の建物が見えた。「仲村アクセサリー」である。

夫婦で出店

 「私がここにきたときには、もう前の市場が完成していて、とってもにぎやかでした」。そう聞かせてくれたのは、お店を切り盛りする仲村舟子さん(69)。鹿児島生まれの舟子さんは、高校を卒業すると大阪に出て、電気屋で出張販売の職に就く。仕事で立ち寄った肉屋で6歳年長の仲村優さんと出会い、21歳で結婚し、優さんの郷里である沖縄に移り住んだ。

 「最初に沖縄にきたのは結婚する前で、当時は飛行機代が高かったので、船できたんです。あの頃はもう復帰してましたけど、車はまだ右側を走っていて、ちょっと外国にきた感じでね。生まれ育ったのは九州の田舎の方だから、那覇はすごくにぎやかで、すてきなところだなと思いました。だから、那覇に嫁いできてよかったかもしれないね」

 那覇に移り住むと、舟子さんは優さんの姉が営む化粧品店「紫」を手伝い始める。働いて2年がたったころ、「ここでアクセサリーを売ってもらえませんか」という話が舞い込んだ。舟子さんはすぐに優さんと相談し、「紫」の斜め向かいにある建物――そこにはかつて優さんの両親が営む肉屋で、当時は「紫」の倉庫として使われていた――を利用して、アクセサリーを売ってみることに決めた。

 「沖縄にきたときから、主人と一緒に何かお店をやろうと話していたんです。建物はもうぼろぼろになっていたから、一部を壊して、壁をショーケースにして商品を並べていたんです。スカーフやネックレス、それにイヤリング。すぐ目の前が公設市場だから、場所的には良いところですよね。向かいには市場の外小間のお店が並んでいて、かつお節屋さんもあったし、豆屋さんもあったし、おそば屋さんもあったんですよ」

仲村舟子さんの夫・優さんが作り、店頭に並ぶ指輪
手作りガラスを使用したアクセサリー

高校生の行列

創業45年の「仲村アクセサリー」を切り盛りする仲村舟子さん

 公設市場が一時閉場を迎えたとき、市場と「仲村アクセサリー」のあいだの通りにはお店が一軒もなく、ただの細い抜け道のようになっていたけれど、そこにもかつてはお店が並んでいたのだと舟子さんは教えてくれた。

 「昔はね、若いお客さんも多かったんですよ」と舟子さんは振り返る。界隈(かいわい)には若者向けの洋服店も軒を連ねており、まちぐゎーは放課後にこどもたちが遊びにくる場所でもあった。「夏休みになると、高校生の子たちがピアスを買いにきて、行列ができていたこともあるんです。ある時期からシルバーアクセサリーが売れるようになってくると、主人は友達から作り方を教わってきて。結構器用なほうだから、2階を工房にして、自分でシルバーアクセサリーを作るようになったんです」

 現在の店舗を建てたきっかけは、琉球銀行の支店長が「お金を貸してあげるから、ビルを建てないか」と提案してくれたことだった。「あの支店長さんはとっても良い方で、お世話になりました」と舟子さんは振り返る。

 「仲村アクセサリー」の隣にある琉球銀行牧志市場出張所は、かつては市場前支店という名前だった。1971年にオープンし、50年の歴史を誇るが、経費削減のため支店の統合が進むなか、2月22日で壺屋支店内に移転してしまった。サンライズなはにあった沖縄銀行壺屋支店も昨年7月に移転し、日本郵便の発送所「市場サテライト」も3月いっぱいで閉鎖される。これから先は、銀行で手続きをしたり、ゆうパックを発送したりするには、アーケードの外にまで足を伸ばさなければならなくなる。「これまですぐ隣だったから、不便になっちゃう」と舟子さんは言う。

「名もない店」

多彩なデザインのネックレス=那覇市松尾

 市場の解体工事が始まると、目と鼻の距離にある「仲村アクセサリー」は粉じんと騒音、それに振動に悩まされるようになった。「那覇市役所とも話し合いがあったんだけど、役所は話が遠過ぎて、現場監督さんに直接陳情したんです。防音シートを貼ってもらったり、アーケードが撤去されて雨漏りがするようになったら隙間をシートでふさいでくれたり、よくしてもらってます」

 お店を創業して、45年近くがたつ。夫も健在だが、最近は息子の鉄心さん(43)と店を切り盛りするようになった。看板には「仲村アクセサリー」という文字はなく、「名もない店」とだけ記されている。まちぐゎーにはかつて、看板を掲げていない小さな食堂が軒を連ねており、その時代を懐かしんで「名もない店」と看板に書いたのだという。

 「最近では、学生のときに買いにきてくれたお客さんが、自分のこどもを連れて買い物にきてくれることもあるんです」。舟子さんはそう教えてくれた。優さんが小さな食堂を懐かしんでいるように、「仲村アクセサリー」もまた、誰かの思い出の店になっている。 

(ライター・橋本倫史)

 はしもと・ともふみ 1982年広島県東広島市生まれ。2007年に「en-taxi」(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動を始める。同年にリトルマガジン「HB」を創刊。19年1月に「ドライブイン探訪」(筑摩書房)、同年5月に「市場界隈」(本の雑誌社)を出版した。


 那覇市の旧牧志公設市場界隈は、昔ながらの「まちぐゎー」の面影をとどめながら、市場の建て替えで生まれ変わりつつある。何よりも魅力は店主の人柄。ライターの橋本倫史さんが、沖縄の戦後史と重ねながら、新旧の店を訪ね歩く。

(2021年2月26日琉球新報掲載)