prime

<沖縄の闇社会を追う2>「桜を見る会」半グレ参加のカラクリ 解散・実刑の先には…


この記事を書いた人 Avatar photo 嶋野 雅明

written by 斎藤 学

 

 沖縄の表社会にも足場を築いてきた「半グレ」のリーダーA。疑問なのは、なぜ安倍晋三首相(当時)が主催した「桜を見る会」に出席できたのかだ。

「桜を見る会」を主催した安倍晋三前首相

出所は自民党本部?

 招待状には通し番号が打たれている。その番号の割り当て先は今もって不明だが、巷間伝わる話と照合すると、Aらが出席した枠は自民党本部の要職者の割り当て分に該当するという。要職枠の招待状は自民党の事務方幹部にも配布され、その一部が県内のある人物に送られた。その人物の同行者であれば、会場への入場が可能なため、同伴出席したのではないかとみられている。

 しかも参加は複数回に及ぶという。関係者によると何回か出席していて気が緩んだのか、「政権の役職と昵懇(じっこん)なところを、アピールしたくなったんじゃないか。わきの甘さが災いしたんだろう。同行した連中が写真で大々的にアピールしたのが表に出た原因だ」と話す。政権中枢の行事でも自由に闊歩(かっぽ)する。この一件からも公的な場に現れても見とがめられることもなく、平然と表社会をすり抜ける半グレの実態が浮かび上がる。

「兵糧攻め」暴力団の隙間から

 1992年の暴力団対策法施行前、有識者からはこんな指摘もあった。「法施行と同時に、暴力団は地下に潜ってますます摘発は困難になる」。指定団体にリスト入りしている幹部、組員らは銀行口座の開設や携帯電話の契約に規制がかかったりする。それは本人一人だけでは済まない。周辺の子弟らにも及ぶ連座的な側面もある。もはや一般的な取引行為も苦慮するようになり、人権は合法的にはく奪されている。生活インフラですら設けることができない。

 生活面で兵糧攻めが続く指定暴力団は、地下に潜る以外に手立てはなくなってしまったのだ。そのかつての指定暴力団の輪郭に沿って、旧来の勢力図を新たに上書きしたのが半グレだ。となれば暴力団対策法に基づく指定団体化などで、こうした集団の暴力事案を封じ込めるのは不可能だ。そういうフェーズに入っている。

離島の繁華街=2019年

 手元にある資料にはAを頂点とするグループのメンバーの規模や概要が説明されている。それによれば、Aのグループ規模は20人を超え、主な資金源が合法的な飲食店の経営などと記されている。飲食業といった正業なのだから、実態は一層つかみづらくもなっている。それは警察に限らず、指定暴力団の側も同じジレンマを抱えている。

 幹部の1人がぼやく。「ヤクザの目もすり抜けて何をやらかすか分からない。表向きはかたぎの商売を装っているから、うちらが出て行けば警察に泣きつきよる。警察も一般市民としか見ないし、半グレかどうか即座に判別もつかん。半グレだと分かっても何もできないでしょ。こんな連中が両面を使いこなしてあこぎなことをやらかしよる。世間には出てない悪さだってぎょうさんある」

解散宣言「自分たちだけが悪いんじゃない」

 再びAの公判が開かれた那覇地裁の法廷に目を移す。Aは入廷するなり、傍聴席を一通り見渡すと、複数の知り合いを見つけたのか、目元がゆるんだ。Aが公判で問われたのはプロ野球の賭博開帳図利幇助や、傷害などの罪だ。一般的には軽微と評価されかねない犯罪に対し逮捕と拘置は長期間に及んだ。それに反発し起訴事実を争うかと思いきや、Aはあっさり起訴事実を認めた。賭博の胴元を紹介したのは間違いないと言う。傷害の罪も「どついてけがをさせたことも間違いないです」。

 2020年11月、一連の捜査を終えて起訴された後、保釈されたAは離島にある警察署前にいた。「長きにわたり地域社会の皆さま方を不安に陥れ、世間を騒がせ、多大なご迷惑をおかけしたことを心よりおわび申し上げる。県警の集中取り締まりを受け、これ以上世間を騒乱させることは本意ではない」。解散届けを読み上げ、撤退を表明した。どんな心境の変化があったのか。

 Aと親交のあった沖縄本島の地元組織の幹部が言う。「元々行儀の悪いやつがおったんよ。あそこは。そこにAが入って行った。そう聞いているよ。元に戻ったということちゃうの」。何らかの利害対立が発生していたと、この幹部は言う。その結果、いわゆる利権をめぐる新旧対決に決着がつき、結局守旧派に軍配が上がったことを幹部はにおわせた。Aは関西に戻ると宣言した。「帰ったとは聞いてる。でも自分たちだけが悪いんじゃないとも言うてたで」。

警察署の玄関前で、「解散届」を提出するA(左)=2020年11月

実刑判決

 そして今年の2月中旬。一連の起訴事実で判決公判を迎えたAが複数の仲間とおぼしき人物らとともにワンボックスカーで那覇地裁に乗り付けた。判決公判はもともと昨年末に期日指定されていたが、新型コロナウイルス感染者との濃厚接触の疑いがAにあり、一度は延期された。判決を前に法廷入口前の長椅子に腰掛け、待機するAに心境を聞いた。白色のマスクごしにAは一言「緊張しますね」と観念したように話した。

 検察側の求刑は懲役4年だった。3年以内でないということは、検察側は裁判所に実刑判決のメッセージを送ったことになる。酌量減刑などで執行猶予となるケースもあるが、実刑も十分予想された。

 ダメ元で判決言い渡し後に、いろいろと話が聞きたいと申し入れるとAは「はい」と応じた。事前に渡した名刺記載の電話に連絡を頼み、事後の取材に備えたが、Aに判決の言い渡しの順番が回ってきて、気重そうに入廷し、証言台に立ったAには懲役2年を超える実刑が言い渡された。そのまま拘置所へ移送されたAとは当面、連絡が取れなくなった。実刑判決も織り込み済みだったとはいえ、今回の取材を通じて探るべき、さらなる事実をお伝えするには、やや時間を要することになってしまった。

那覇地裁

 Aが実刑となった判決を見てみよう。賭博ほう助の罪は、ある胴元の開帳する野球賭博のかけ金の申し込み数を増やすのを手伝ったのが罪に該当すると認定された。携帯のアプリを使って、5200万円にも及ぶ金額の申し込みを受け付けたという。

 傷害罪については、常習性が争点となった。認定された傷害罪の1件は3年前に遡(さかのぼ)る。自動車内で同乗者の顔を数回殴りつけ、全治約8日間のけがを負わせた。2件目は同じ年にシンガポールの飲食店での出来事だ。手に持った下駄でやはり、居合わせた人物の顔面を殴りつけ全治約5日間のけがを負わせた。いずれの被害者も従業員とも配下の者とも評価される人物だ。いずれも被害者の粗相をしつけるのが名目になっていた。

 裁判所が常習性を認めたのは、この2件の傷害罪を前に、5年間にも同じような傷害などの罪を3件起こしていることだ。裁判所は、いずれの事件でも「配下の者の言動に腹を立てたり、指導教育の必要があると考えたりしたときに粗暴な行動に出やすい習癖がある」と指摘している。

 腕力で組織を維持する武闘派然とした手法は、指定暴力団ですら廃れたといわれている。とはいえ、配下の者に絶対の忠誠を誓わせるには今も腕力が最も効果的なのだろう。賭博のツールが携帯アプリに進化しても、人のマウンティングのやり口は相変わらずだ。

「同根」勢力、別の離島にも

 ただ、警察など捜査機関も十分に把握しきれていない「反社会的勢力」とも呼ばれる半グレの集団、組織がいつの間にか公然と社会を跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し始めたのは間違いない。県内自治体の議会にも、そして国政にも、親和的な議員がいることも無視できない脅威だ。資料には複数の議員名も挙げられている。

 Aは県内に根付くことなく、県外に拠点を移したとされる。しかし、別の離島には同じく同根の半グレと捜査機関が見る人物の往来が認められている。その半グレは県外の指定暴力団幹部を後見人にする。その離島へは、後見人の幹部も訪れているのがたびたび確認されている。離島に限らず、沖縄本島にも複数の半グレのグループの存在が挙げられている。県内でも著名な法人に接近し、さらには公的機関にも影を落とし始めた。深層で増殖を重ねていた集団が社会に表出し始めている実態については、さらに深掘りしていきたい。追跡情報はまたの機会に譲る。

<前編>反社会の「業界再編」ホテルのプールに暴力団と…


斎藤 学

1965年生まれ。埼玉県出身。北海タイムス記者を経て琉球新報記者。社会部、政経部などで主に事件や地検・裁判を取材。現在はニュース編成センターに所属。


沖縄発・記者コラム 取材で出会った人との忘れられない体験、記事にならなかった出来事、今だから話せる裏話やニュースの深層……。沖縄に生き、沖縄の肉声に迫る記者たちがじっくりと書くコラム。日々のニュースでは伝えきれない「時代の手触り」を発信します。