瀬長亀次郎さんの新聞記者時代はどうだったのか 不屈館で藤原健さんが講演


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毎日新聞記者だった1942年当時の瀬長亀次郎さん(不屈館提供)

 瀬長亀次郎さんに関する資料などを展示する不屈館の8周年講演会が1日、那覇市の同館であり、元毎日新聞大阪本社編集局長で琉球新報客員編集委員の藤原健さんが「『新聞記者・カメジロー』とその時代」と題して講演した。藤原さんは、亀次郎さんが自身の記者時代についてほとんど語らなかった理由を文献や時代背景から考察した。

 亀次郎さんは1936年に沖縄朝日新聞に入社した。同紙記者だった高嶺朝光さんの著書「新聞五十年」では、亀次郎さんが書いたバス運転手によるストライキの記事に対して、バス会社重役が「運転手側の肩を持ちすぎる」と苦情を言ったことが紹介されている。亀次郎さんは38年に召集され、中国から体験記を送り同紙に掲載された。

新聞記者時代の瀬長亀次郎さんについて語る藤原健さん=1日、那覇市の不屈館

 40年に復員した後は毎日新聞那覇支局の記者になったが、43年に退職した。藤原さんは「当時の記事は戦時色一色で、大負けしても『大戦果』と書いた。亀次郎はこういう記事を書くのが嫌だったはずだ」と辞めた理由を分析した。

 戦後、記者時代のことを語らなかった理由について「苦渋の選択で新聞社に残った(大本営発表の記事を書き続けた)元同僚を批判することになる。それで沈黙したのだろう」と指摘した。「亀次郎はなぜ沈黙したのか、新聞人としてどうだったのか、資料は残されていないが、しっかり考えないといけない」と訴えた。

 不屈館は講演を収録したDVDを4月に発売する予定。問い合わせは同館(電話)098(943)8374(火曜休館)。