母の戦争体験を歌に 東外門清順が作詞作曲 「慰め」すべての孤児へ


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「南洋哀歌」を収録する声楽家の田里直樹(テノール・中央)と前川佳央(バリトン・右)、たさとしのぶ(ピアノ)のヴォーカルグループ「おから」=2月18日、那覇市の劇場・アトリエ銘苅ベース

 音楽家の東外門清順(あがりふかじょうせいじゅん)が戦争で孤児となった母小濱雪子さん(84)の戦争体験を基に、非戦の歌「南洋哀歌」を作詞作曲した。楽曲がこのほど完成し、配信用の動画収録が2月18日、那覇市の劇場・アトリエ銘苅ベースであった。ヴォーカルグループ「おから」のためにオリジナル曲として制作された。東外門さんは「戦争孤児という同じような境遇に合った人にも歌が届いてほしい。心が安らぐような歌になってほしい」と願った。

 雪子さんは両親が読谷村から移住して住んでいたサイパン島で生まれた。太平洋戦争の最中、米軍が1944年6月にサイパン島に上陸。雪子さんが8歳のころ、戦争で父仲本兼睦さん、母カメさん、妹美代子さん、弟兼次さんの家族4人を失った。

 2006年、雪子さんが病気のため、緊急手術を受けた際、東外門さんは病室で雪子さんから戦争の詳細な記憶を聞きノートにまとめた。

 山の中の壕で「集団自決」を図り致命傷を受けず助かり、捕虜収容所に送られたこと、壕の中では目の前で父が自ら命を絶ったこと。雪子さんの父の弟にあたる叔父の仲本兼仁さん=故人=が、戦後引き揚げ船で沖縄に渡り、知人に育てられていた雪子さんを見つけ出し引き取った経緯を兼仁さんから聞いた。

雪子さん(前列左2人目)の家族写真。戦禍をくぐり抜けて残った。劣化し両親の顔部分が分からない(東外門清順さん提供)

 歌詞には雪子さんが独り生き残った寂しさや、兼仁さんが雪子さんを見つけ出した時の情景などがつづられる。東外門さんは「息子という立場で母の戦争の記憶を歌詞に残そうと思ったら自然と歌詞が出てきた」と振り返る。

 「戦争孤児の話を母から聞けたことはすごく幸運だった。(楽曲は)おからさんとの出会いがなかったらできていなかった」。解説には「この歌で『8歳のゆきちゃん』を慰めてあげたい。(中略)それが母の息子として生まれた私の務めのような気がしている」と作曲の思いを明かした。

 南洋哀歌は、声楽家の田里直樹(テノール)と前川佳央(バリトン)、たさとしのぶ(ピアノ)のヴォーカルグループ「おから」が伸びやかな歌声とピアノの音色を優しく響かせ引き付ける。11日から、動画投稿サイト「ユーチューブ」の「おからチャンネル」で配信される。
 (田中芳)