「十字路」に込めた思い 夜市やコマ大会…人、世代つなぐ街へ<動き出す銀天街>3


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written by 下地美夏子

 昨年10月、銀天街では約5年ぶりに「コザ十字路通り会」が活動を再開した。通り会代表で、沖縄市照屋で生まれ育った森寛和さん(54)は「横のつながりが残る銀天街を人と人、世代をつなぐ場所にしたい」と語る。子どもや高齢者、障がい者などの交通弱者が主体となり、銀天街に集うことで「誰もが来やすい」拠点を目指す。各方面をつなぐ“橋渡し役”を担おうと模索している。

 昨年12月から、飲食や雑貨などを販売する屋台が並ぶ「銀天夜市」を、銀天街の壁画前で開催している。

サンタクロースに扮し、通行人らにプレゼントを配る生活介護事業所「マイフレンド」の利用者ら=2020年12月25日、沖縄市照屋(マイフレンド提供)

 12月11日に開かれた夜市では、うるま市栄野比にある生活介護事業所「マイフレンド」の利用者らが手作りしたハーブティーやピクルスなどが屋台に並んだ。売上金は、クリスマスに合わせて、お菓子やおもちゃなどのプレゼント購入費に充てられた。

 25日のクリスマス当日、サンタクロースの衣装を身に着けた利用者らが銀天街を訪れ、通行人らにプレゼントを配った。配布時には握手するなど、交流の輪が広がったという。

 同事業所代表理事の宮城智子さん(40)は「利用者は受け取ることが多いが、与える側になることで別の喜びを感じたようだ」と効果を実感している。「銀天街には地域の人がつながる『ユイマール精神』が根付いていると思う。今後もイベントへの参加などで交流を続けたい」と話した。

 森さんは、幼少期に見た銀天街の風景を鮮明に覚えている。毎週日曜日になると、通りは歩行者天国となり、子どもたちが道路に自由に絵を描いていた。「商店街は老若男女が集まる中心地だった」と振り返る。地域の人が集い、外から訪れる人と気軽に交流できる場の創出を思い描く。

 「NPOももやま子ども食堂」の菅原耕太さん(39)が昨年12月、通り会と協力して開催したベーゴマ大会には、子どもや高齢者が触れ合う光景が広がっていた。菅原さんは「子どもの居場所や遊ぶ場所は、歩いて行ける範囲に限られている。子どもたちの身近な場所で遊び場の選択肢が増えるといい」と話し、商店街の活用を期待する。

 通り会は今後、各団体や学校、自治会など、多方面と連携を図りたい考えだ。会の名称の「十字路」には、人や地域が交差するという願いが込められている。多様な人が交わり、コミュニティーが生まれ、変化の兆しが見え始めた。銀天街の新たな歴史が今、刻まれつつある。


 大型スーパーの進出でかつてのにぎわいを失った銀天街。老朽化したアーケードの撤去を機に、商店街の再起への期待が高まっている。街づくりの動きを追う。