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眠る場所ない少女たち…沖縄社会の暴力「ゆいまーる」では救えない 琉球大教授・上間陽子さん〈ゆくい語り 沖縄へのメッセージ〉36


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インタビューに答える上間陽子さん=3日、県内

 暴力や貧困の中に生きる、未成年の少女たちの声を聞き続けてきた上間陽子さん(48)=琉球大学教育学研究科教授。2017年に刊行した著書「裸足で逃げる」は、沖縄社会が見て見ぬふりをしてきた、困難を生きる少女たちの姿を浮き彫りにし、衝撃を与えた。今も少女たちの支援を続け、17年から若年出産女性の調査をする。

 コロナ禍は観光が基幹産業の沖縄経済を直撃した。そのしわ寄せは非正規が多く、観光業や飲食店で働く比率の高い女性たちに及んでいる。「自助、共助が大事で、最後が公助」との意識が広がる社会で、上間さんは公共の仕組みの必要性を強く訴える。

(編集局次長兼報道本部長 島洋子)

   ◇    ◇

 毎月1回の大型インタビュー「ゆくい語り」。国際女性デーに当たる今回は、沖縄社会のひずみの中で懸命に生きる女の子たちを調査、支援してきた上間陽子さんに話を聞いた。

少女たちの安全な「住」、公助の仕事

 ―未成年の少女たちの支援と調査をしている。少女たちの問題、社会に潜む暴力をテーマにしようと思ったのはなぜか。

 「小学校の同級生に、家族の疾患を抱えている女の子がいて、本人はすごくしんどいのに、周りに気づかれないように振る舞っていた。中学生になると今度は性の問題が出てきて、女の子たちが置かれている貧困や暴力の問題をはっきりと自覚した。性的な初体験が車だという子が何人もいた。家庭でDVや虐待に遭い、家にいられなくなって夜の街に出て、性被害に遭う。著書に『私たちの街は暴力を孕(はら)んでいる』と書いたが、貧困や暴力には米軍基地が影を落としている。米兵の犯罪もあるし、住宅地と夜の街の区別も曖昧で、子どもの通学路のそばに性産業を営む一角がある。街には貧困も性暴力もあった。嫌になって高校からは地元を出た」

2016年米軍属暴行事件 本を執筆する契機に

 「東京都立大の大学院では周りから出身だから沖縄の研究をしたらいいと再三言われたが、私は沖縄をキャリアの材料にするのが嫌で、逆に東京の一番強い子たちを研究しようと、ギャルをテーマにした。女子高校に3年通い、教室に座って彼女たちの話を聞いた。当時、社会学では宮台真司氏らの『性の自己決定権』の議論があった。性規範から自由で金銭を介した援助交際も自己決定だという、一見強い女子高生像。でも実際にはレイプや妊娠などが起こり、女子高生が性規範から自由になるなんて相当難しいし、しんどいことだと分かった」

 「たまたま琉球大に職を得て沖縄に帰ってきた後、女子中学生が性暴力に遭い、その後、自死した事件が起こった。しかも遺族がネット上でバッシングされた。表には出ないが、こうした事件は起こっている。被害に遭って生き残っている別の子たちがこの状況を見ているなと思った。未成年の女の子が置かれている状況を調査しなくてはならないと思い、社会学者の打越正行さんと共に2011年に風俗店のオーナーの取材から始めて、未成年で働く女の子たちと知り合い、聞き取りを始めた」

「裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち」(右)と「海をあげる」

 「最初は聞き取りをしてデータは取るが、性に絡むことは書かないと決めていた。考えを変えたのは16年の元米海兵隊員の米軍属による女性暴行殺人事件だ。調査の中にも性犯罪の被害者がいたのに、書く努力をしなかったと感じて、1人の女の子のことを書いてみた。本人も了解したので本(『裸足で逃げる―沖縄の夜の街の少女たち』)の執筆につながった」

 ―女の子たちからつらい体験を聞いている。心を開いてもらうのも大変だと思う。どう接しているか。

 「大人はこの子たちを指導しないといけないと思っている。すると敗北する。一人一人、困難な状況を乗り切ってきた矜恃(きょうじ)がある。社会の大半は彼女たちの存在を無視している。仕事として関わる大人たちは指導しようとする。彼女たちにとっては苦痛。私は話を聞くことと、長く会えることを大事にしていて、指導する立場じゃないし、救世主でもない。物事を決めるのはあくまでも本人で、そのサポートや助言をするだけだ。もちろん常に悩んでいるが、それぞれの場所や彼女たちの決定を侵さない、境界線の設定をどうするかが大事だと思っている」

“ゆいまーるの精神” 美談で終わらせない

 ―彼女たちの厳しい状況を変えるために沖縄社会はどうすればよいか。

 「沖縄は、米軍施政権下で行政の機能が弱く、みな自分で何とかした。例えば保育園がないと、近所の人がちょっとした手間賃でみて乗り切ってきた。それは外から見たらゆいまーるの精神で美談とされるけど、子どもにとって最良かは分からない。子どもの人権を守るには公共の仕組みが必要だ。コロナ禍で『フード・パントリー(余剰食品の貧困層への配布)』が活発になり、マスコミもさんざん取り上げたが、その先の、本来であれば国や行政のすべきことを要求するという議論が出てこない。沖縄ではみんな大変だはず、という共助で乗り切ろうとしているけど、これで乗り切ることはできない。本来は公助の仕事だ。マスコミは、行政をどう動かすか見据えて取材や議論をしないといけない」

 ―具体的に何が必要か。

 「支援で最も難しいのが『住』だ。彼女たちの眠る所が最も危ういと思う。接する女の子たちは住む所のモデルを持っていない子が多い。布団は干してあってふかふかでシーツは清潔でさらっとした肌触りで、という体験をしているか否か、親がどれだけ子に手をかけたか。ある子のマンションは布団がなく、ベロア素材のマットで寝ていた。きちんとした寝具の体験がないからそうなってしまう。父親にレイプされた子は布団を怖がる。虐待やDVに遭う、こうした女の子たちを救い、安全に暮らす場所を提供するシェルターをつくることこそ、行政の仕事だと思う」

支援している女の子が手作りしたフェルト製のボールを手に。「本当に器用で何でもできる子なんですよ」と話す上間陽子さん=3日、県内

 ―コロナ禍で経済的に厳しい人たちが増えている。

 「本当に現金がない。緊急事態宣言でキャバクラや風俗店も時短営業になったり、店の都合で給料を減らされたりしている。コロナは怖いけど、お金がないから店に出ないといけないと働いている子もいる。夫のDVから逃げ切れない子もいる。夫も給料を減らされて、ストレスのはけ口を家族に向ける。コロナ禍は社会の弱いところに来ている。もともと厳しい暮らしの子にしんどいことが重なりやすい」

 ―これからの活動は

 「17年から若年出産女性の調査をしていて、76人から話を聞いた。現時点で分かったことは、義務教育段階で出産すると学校がサポートしている。だから学校に対する肯定感があるし、本人も学業を続けたいという望みがある。でも高校生だとほとんどは中退したり、元いた学校から別の学校に移るなどして結局、中退に至ってしまう子も多い。中退では就職にも不利になり、後の生活に影響する。元の学校で卒業できる支援が必要だ。まずはそれを考えたい」

 「もちろん、女の子たちに話を聞かせてもらい、それを整理したアカデミックな知見を公表し、行政につなげることも考えないといけないと思っている」

 

 

 うえま・ようこ

 1972年生まれ、沖縄県出身。琉球大教育学研究科教授。1990年代後半から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの調査、支援に携わる。17年に「裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち」を刊行。最新刊は2冊目の単著「海をあげる」。今月3日、新しい言葉の担い手に贈られる第14回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」の受賞が発表された。

 

 取材を終えて  

伸びやかに生きられる社会へ
 

聞き手・編集局次長・島洋子

 上間陽子さんはあるインタビューでこう語っている。学生時代、夜は鍵を指の間に挟んで握り、米兵に連れ去られそうな時は抵抗できるようにしていた―と。私は読んで笑うと同時に泣きそうになった。私自身、全く同じことをしているから。

 米軍基地から派生する事件事故は繰り返され、女性が被害に遭う。しかし本土の視線は「沖縄は米軍基地があるから金をもらって潤っているんだろう」。沖縄は基地によって豊かなのか。潤っている所に住む女の子が、ビクビクして鍵を握りしめて歩くものなのか。その憤りが私を、基地が沖縄経済にもたらしたひずみをあぶり出す取材に駆り立てた。

 上間さんが支援する女の子たちは暴力や貧困のただ中で生きている。「私たちの街は暴力を孕(はら)んでいる。そしてそれは、女の子たちにふりそそぐ」との著書の言葉には衝撃を受けた。同郷の私としては認めたくない。けれど事実だ。

 女性たちが暴力におびえず伸びやかに生きられる社会をどうつくるか。私たちに課された課題として、国際女性デーの今日も考えたい。