深刻な被災者の心の傷 沖縄の体験、ケアに生きる<つながる・備える―東日本大震災10年>5


この記事を書いた人 Avatar photo 玉城江梨子
原発事故の影響で、帰還困難区域で通行止めとなったままの浪江町立津島中学校(筆者提供)

 2010年に那覇の病院で、沖縄戦のトラウマ記憶が長い潜伏期間を経て発症したPTSD(心的外傷後ストレス障害)を見つけた。

 2013年、私は福島県心のケアチームが立ち上げた診療所に赴任することとなった。着任したその月に、津波で母親が流されて父親と仮設住宅で暮らしていた30代の女性が、大好きな叔母が亡くなったのを契機に眠れなくなり、泣きだし、津波の場面がフラッシュバックして診療所に来られた。沖縄で出会ったのは晩年発症型のPTSDであったが、彼女は2年後発症したPTSDであった。

 遺体捜索に従事した消防団員の男性は、眠れなくなり、右足が痛くて車のブレーキやアクセルを踏めなくなった。整形外科で坐骨(ざこつ)神経痛と診断され、心療内科でうつ病と診断されたが、私の診察では身体表現性障害であり、2カ月後彼は眠れるようになり足の痛みも消えた。

 被災地に行って、沖縄戦体験者の診察に没頭した経験がそのまま生きた。私は、沖縄の高齢者から貴重な「研修」を受けたのである。

 

 貧しさと原発

 

 明治の実業家の渋沢栄一は、「(東北が)維新の際に賊軍となったため非情な不利益を被った」として「国有林の設定などにおける不利な扱い」をあげている。つまり薩長政府の報復的政策により東北各県の国有林比率が高く設定され、農地が少なくなった。とりわけ福島県の国有林比率は高かった。

 そのため福島県からの海外移民者の数は全国で7番目、東日本では一番多い。満蒙開拓団にも、山形、岩手、宮城、福島と東北からたくさん参加した。彼らの思いは、「満州という広大な土地に行けばたらふく食える」であり、あとに引けない貧困が背中を押した。

 このように、東北は日本の資本主義の発展のために、労働力や食糧、兵隊、電気、鉱山や林業の資源などを提供する植民地的役割をあてがわれてきた。なかでも福島第一原発が立地する大熊町と双葉町は「福島県のチベット」といわれるほど貧しく、そこの土地を札束で買い上げて原発ができた。東電福島原発事故は、明治から150年にわたる東北収奪の歴史を露呈した。今でも福島県で一番大きい猪苗代湖の水利権は東電のものである。

 

 異次元のストレス

 

 震災関連の自殺者数は全体で200人を超え、そのうち半分以上が福島県民である。また震災関連死(2316人)が震災直接死を上回っているのは福島県だけである。
 震災関連死の4人に1人は避難途中に亡くなっており、60代以上の者が95%を占める(NHK)。

 原発事故による避難者は決して、「よく来てくれた」と歓迎されるゲストとして親戚や友人宅を訪ねたのではない。いつも、「周りの迷惑になっていないか?」という自責感を抱きながら、他県の土地やよそのお宅を転々としたのである。

 私たちが2019年に浪江町津島地区の避難者500人について調べたところ、住民の平均避難回数は4・65回であった。またPTSDハイリスク群は48・5%であり、これは従来の日本国内の震災では例をみない高さであった。K6(精神的健康度テスト)によって「13点以上の重症の精神不調の者」を見ると、県内避難者では26・6%であり、県外居住者は43・2%と、明らかに県外居住者の精神的健康が悪化していた。

 つまり、避難する体験そのものが心身に過酷な悪影響を及ぼし、避難の回数が多ければ精神的健康は悪化し、とりわけ県外に避難することは精神健康を著明に悪化させる。

 早稲田大学の辻内琢也によると、「原発事故発生当初から1週間の間に死の恐怖を感じた」ことがPTSDリスクを押し上げるという。

 通院患者のある女性は「逃げればいいのか、逃げれば助かるのか、それともこのまま死んでしまうか」と思った。

 別の女性は「ああ放射能を浴びちゃったな」「死ぬのではないか」「でもどれくらいで死ぬのか分からないし、今は大丈夫でも何年かしたら死ぬのではないか」と思ったという。

 2015年度福島県民健康管理調査によると、「後年にガンなど健康障害が起きると思うか?」という設問に対して、「(可能性が)あるかも知れない=19・0%」「(可能性が)非常に高い=13・8%」とあり、合計32・8%の県民は自身の放射能の被害を案じている。

 また「次世代以降に健康障害が起きるか?」という設問に対しては、「(可能性は)あるかも知れない=22・0%」「(可能性は)非常に高い=15・6%」と合わせて37・6%の人が次世代以降の健康被害を案じている。実際には福島県に残って生活している人も放射能の被害を案じているのである。

 

 心配な子どもたち

 

 福島県の児童虐待件数は、震災の翌年のデータから増え始めた。DV件数もうなぎ上りに増え毎年1500件を行き来している。震災後に家庭環境が悪化しているのである。そして中高校生の不登校が増え、20歳以下の自殺率が全国一となった(2018年度)。

 おきなわ子ども未来ネットワーク代表の山内優子によれば、沖縄では1968年に少年非行が戦後最高となり、4865件の事件が発生した。強姦、強盗、殺人、放火などの凶悪犯が43%を占めた。

 同じように、福島の子どもたちがこの先成長して新しい課題に直面する時、うつ病やアルコール依存などの疾患を発症したり、自殺や非行など問題が多発したりしないとは言えない。しかし県当局は「がんばろう福島」と掛け声をかけ、復興ムードをあおるだけで「子どもの心のケア」に見向きもしない。

 被災地の子どもや、その親たちの置かれた事情や、メンタルヘルスについて調査するべきである。
 (おわり)
 


 

蟻塚亮二さん

 ありつか・りょうじ 1947年生まれ。弘前大学医学部卒業。弘前市・藤代健生病院院長を務め、2004年に沖縄県に移住し沖縄協同病院心療内科部長などを歴任。13年から福島県相馬市・メンタルクリニックなごみ所長。著書「沖縄戦とこころの傷」など。