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キヤノン入り津嘉山廉人 ラグビー初心者「使えないやつ」…なにくそ根性で成長<ブレークスルー>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
全国大学選手権3回戦 筑波戦でボールを持って前進していく流通経大の津嘉山廉人(右)=2020年12月13日、東京・秩父宮ラグビー場(流通経大ラグビー部提供)

 中学3年でなんとなく始めたラグビーは、いつの間にか学生生活の中心になっていた。大学2年時にU20日本代表に選ばれたプロップ津嘉山廉人(22)=沖縄東中―流通経大柏高―流通経大出=は、今春からトップリーグのキヤノンに入団し、ラガーマンとして新たなステップへ歩みを進める。初心者同然で強豪高校に進学し、「使えないやつ」とレッテルを貼られた時期もあった。自身を支えたのは「負けるのが嫌」というなにくそ根性。地道な鍛錬を積み重ね、チームの屋台骨を支えるFWの中心選手へと成長を遂げた。

■役割見詰め屈強に

 2人の兄の影響で小学1年で野球を始めたが、既に身長が180センチ以上あった中学3年時にラグビーと出合う。指導者の當眞準監督が沖縄東中に赴任し、体格の良さを見込まれ、ラグビー部の創設と同時に勧誘された。野球部を引退後、「暇だからいいか」という軽い気持ちで入部。美東中と戦った初試合はロックとして出場し約80点もの大差で敗れ、「こんなにきついのか」と過酷さを痛感したが「その分やりがいも感じた」。負けず嫌いな性格も相まり、タックルに対する恐怖心もなかった。

 當眞監督の兄で、当時コザ高を率いていた當眞豊監督の紹介で、高校は千葉県の強豪・流通経大柏へ。まだ競技歴半年ほどだった。「初めは『全然レベルが違うな』という感じだった」。体重はFWとしては軽量な80キロ台。パスされてもまともにキャッチすらできない。「あんまり使えないやつだな」とバカにされた。

 それでも「逃げないように3年間頑張ろう」と負けん気の強さに火が付き、食らいつく。「技術では他に劣る。自分にできるのはシンプルに体を当てることだ」。毎日夕食だけで1キロを食べ、体は徐々に大きく、屈強に。体重は90キロ半ばまで増えた。2年から試合に出始め、交代出場で初めて花園の地も踏んだ。

 それまではロックだったが、3年に上がるとプロップに移った。プロップは英語で「支柱」を意味し、スクラムでは相手と最前列で組み合う。チーム一、筋力トレーニングに力を入れていたため、体重を減らさないことを仲間に促したり、筋トレ法を指導するS&Cリーダーを務めた。

 「初めは自分のことでいっぱいいっぱいだったけど、3年になると下級生を自分から引っ張っていこうという意識も芽生えた」と心身で成長し、チームを縁の下で支える中心選手となった。最後は花園2回戦で敗れ、引退したが「悔いは無かった」と振り返る。

■大敗を糧に

津嘉山廉人

 大学でも地道に体を鍛え、体重は100キロを超えた。押し負けない屈強な体と、80分間最前線で体をぶつけ続ける豊富なスタミナが評価され、2年生でU20日本代表に。フランスであった国際大会でニュージーランドやオーストラリアと対戦し、「同じ代だけど、体の大きさやスピードが違った」と刺激を受けた。

 昨年は最終学年を迎えたが、時はコロナ禍。春季大会の中止やチーム練習の制限で結束が高まらない。試合中、FWリーダーとして「いい雰囲気になるような声掛け」を意識した。

 「ここもっと守ろう」「もっとこうした方がいい」。タックルの角度やモールの高さなど細やかな指示を率先して行う。「個人の力では限界がある。練習中も含め、目に見えたら言うようにした」とプレー、メンタルの両面でチームを引っ張った。

 関東リーグ戦を6勝1敗の2位で終え、迎えた集大成の全国選手権。初戦となった3回戦の筑波戦は19―19で同点となり、抽選で勝ち上がり。次戦の準々決勝は前年の8強でも当たり、30点差で敗れた天理で「勝つ気満々だった」。しかし、結果は17―78で大敗。「一つ一つのプレーに懸ける気持ちが違った。4年間の最後の試合がふがいない結果に終わってしまった」と失意に暮れた。

 それでも今月下旬にはチームに合流し、次の舞台へ進む。昨年12月の引退試合から約3カ月、最近やっと天理戦の動画を見ることができた。「こういう負け方だったのか」と冷静に試合内容を見詰め、一つの区切りを付けることができた。

 運動量には自信があるが、トップリーグではスクラムやラインアウトなどのセットプレーの精度、スピードは格段に上がる。「少しでも早く適応し、試合に出てチームの力になりたい」とチーム内競争を勝ち抜く決意だ。これまでと変わらず、地道に、一歩ずつ成長していく。

(長嶺真輝)