【宜野湾】米軍普天間飛行場東側にある宜野湾市の市道宜野湾11号が、28日に全線供用開始される。事業着手から約42年を要した。ようやくの開通に、地元には渋滞緩和に期待の声がある。保守市政時に着手するも、革新市政移行などで一時休止。現在の保守市政で国の補助条件が緩和されて事業が進んだ、政治色のある道路でもある。
事業は安次富盛信氏の市長時代、1979年度に着手した。米軍普天間飛行場の建設で失われた宜野湾街道の代替を、基地沿いに整備する計画だった。北は上原、南は佐真下をつなぐ全長約3500メートルの道路で、隣接する国道330号の渋滞緩和が期待された。
しかし、南北側の整備は進んだが、その間の上原と宜野湾の軍用地約2キロで返還調整が整わず、革新の桃原正賢氏が市長だった89年度に道路整備は休止した。96年に普天間飛行場の全面返還が合意されても、進展はなかった。
革新市政も事業再開を試みたが、国から地権者の返還同意率「100%」を求められ、足踏み状態へ。通常の事業では地権者の合意は8割程度とされ、100%の条件は「いじめに近い」(市関係者)ほど厳しかった。
2012年市長選で佐喜真淳氏が当選し、27年ぶりに保守市政を奪還すると、状況は一転した。国は市に「同意率100%はこだわらない」考えを示し、道路整備事業は14年度に再開、土地は17年に返還された。普天間飛行場の名護市辺野古への移設に、一定の容認を示す保守市政への配慮がにじむ。市が最終的に全地権者から買収合意を得たのは昨年12月だった。
市宜野湾の出身で、市議を2期(10~18年)務めた宮城勝子さん(75)は完成を喜ぶ。市宜野湾は大学が所在し、周辺に小中高もあり、周辺道路は通勤・通学の車で混雑する。宮城さんは、歩いて通学する児童が車と接触しそうな場面に何度も遭遇したという。
議会で革新市政に質問しても進展はなかった。保守市政になって進展したことに「政治的なものも感じる」と受け止めつつ、「誰もがいつでも安心して通れる道路行政をやってほしい」と求めた。
市道宜野湾11号は28日午後1時半に開通式を開いた後、午後4時から供用が開始される。 (金良孝矢)