追悼・山口栄鉄さん 我部政男「琉球国際関係学」を構想 欧文資料研究、新たな世界像


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子

 山口栄鉄さんに、こんなにも早くお別れの言葉を述べるのは、やはり寂しくつらい。太平洋を挟んでの長年の友誼(ゆうぎ)に深く感謝する。つい先日、新型コロナウイルスのことが気になりメールした。山口さんは「虫の知らせ」と言って病気のことを知らせてくれた。その中で「82年の長い人生、学術私生活上でも幸せいっぱいの人生でした。家人もそのことをよく理解し、少しも悲しんだりしていません」と書いてはいたが、冷静さを装うその心情に、私は胸の高鳴りを感じ取った。

 山口さんの沖縄(琉球)の研究は、言語学に軸足を置きながら同時に歴史的な視点を重視し、国際関係学的な視野のもとでの文化(文明)史研究としてなされてきた。

 明治期に長く日本に滞在して言語学を研究し、沖縄にも訪れた英国人バジル・ホール・チェンバレンについての研究が山口さんのライフスタディーであった。山口さんは「チェンバレンの研究」(沖積舎、2010年)で国学院大学から学位・博士号が授与された。

 山口さんの著作を通して見えてくる特色の一つが、欧文史料の収集の選択や分析だ。これらは国際文化交流の懸け橋としての翻訳作業を遂行する中でなされてきた点であろう。豊富な語学力の正確さ、細やかな分析と理解に基づく翻訳作業を通して、その時代の価値観をにじませた新しい世界像を示してくれる。山口さんの業績に対する評価は、多様な側面にわたる。

 これらの研究成果は、中世から近代にかけての日本・中国・琉球を主軸に置く東アジア史に視野を拡大した歴史家・東恩納寛惇の手法を彷彿(ほうふつ)とさせる。すなわち、山口さんは、17~19世紀に西欧列強がアジアに進出した時期に時代を定め、欧米人のアジア認識、とりわけ琉球認識の視点に焦点を絞り、西欧人のアジア認識を学問的に追究している。
 この西洋人による日本学の視点を自己の立脚点に備えつつ、その方法をそのまま踏襲するだけでなく、その周辺をも取り込みつつ、19世紀の国際環境を十分に認識した上で、最終的には「琉球国際関係学」を樹立しようと構想している。

 山口さんの研究の意義は、単に琉球研究の中で、世界史学的素材を発掘したということにとどまるものではない。むしろ、史料の再構成によっていわゆる沖縄・琉球国際関係学を打ちたてようという野心的な試みを実験しているところにあるであろう。

 在米の長い歳月は山口さんによってこの新しい構想のために必要な時間であったかもしれない。

 生前、山口さんに案内されたエール大学のキャンパスやニューヨークは忘れがたい場所である。東京での再会、学会が開かれたベネチアへの旅も楽しかった。山口さんの学位授与式に、山口さんの長兄と参加したのも懐かしい。チェンバレンの外祖父にあたる英海軍士官バジル・ホールの琉球航海を記念して那覇市泊の港に碑を建てたことは、山口さんの情熱の燃焼であったように感じる。今は、米コネチカット州ハムデン市のセンタービルの墓地に埋葬される山口栄鉄さんのご冥福を祈る。 (山梨学院大学名誉教授)
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 国際琉球学研究者の山口栄鉄さんは10日死去、82歳。