沖縄戦・強制集団死76年、チビチリガマで慰霊祭「平和を後世に」 生存者コロナで参加せず


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自然壕「チビチリガマ」の中で行われた慰霊祭で、祭壇に手を合わせる與那覇徳市さん(手前)ら遺族=3日午後、読谷村波平(代表撮影)

 【読谷】沖縄戦で米軍が沖縄本島に上陸した直後の1945年4月2日に、住人83人が「集団自決」(強制集団死)などに追い込まれた読谷村波平のチビチリガマで、3日午後、遺族会による慰霊祭が開かれた。遺族や関係者16人が参加した。76年前に命を失った肉親の冥福を祈り、後世に平和を発信し続けると誓い合った。

 新型コロナウイルスの影響で、昨年に引き続き慰霊祭は遺族を中心として小規模に実施した。高齢化や新型コロナの感染防止の観点から、チビチリガマ生存者の参加はなかった。

 正午過ぎに集まった遺族や関係者らは、ガマの中に重箱料理や果物、お酒を供え、一人一人線香を手向けた。

 母方の祖父母ら5人を無くした與那覇徳市さん(78)=村渡慶次=は、祭壇に向かって手を合わせながら、うちなーぐちで力強く語りかけた。「このウチナーから、この読谷から、このチビチリガマから、平和を発信していこう」