普天間飛行場、地主ほぼ倍増4200人 相続や投機…跡地利用の合意描けず 返還合意25年


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 1996年4月12日、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米国大使が共同で会見し、米軍普天間飛行場の全面返還に合意したと発表した。その発表から12日で25年の年月が経過するが、返還は実現していない。日米両政府が条件とする名護市辺野古の新基地建設は県民の理解を得られず、軟弱地盤の存在も明らかになって工事はさらに長期化が確定。市街地の中心に位置する普天間飛行場の運用は激しさを増し、住民は騒音被害や環境汚染に悩まされる。25年の間に所属機が事故や不具合を繰り返し、危険性の除去と程遠い状態が続いている。

 米軍普天間飛行場の返還が合意された1996年に2376人だった地主数が、2021年3月末現在、約1・8倍の4227人に増えていることが分かった。今月12日で合意から25年を迎える中、時間の経過とともに跡地利用に向けた合意形成が困難となる実情が浮かび上がっている。

 地主数が増えていく背景には、地主の死去による分割相続や投資のための売買が挙げられる。沖縄防衛局は「特に相続登記がされていないため、法定相続人が増えていることが原因と思われる」と説明する。今後も飛行場の使用が長引けば、地主数の増加は避けられない。

 地主数は県の統計資料集や沖縄防衛局の回答から集計した。米軍基地に反対する信念などから国との契約を拒否する、いわゆる「反戦地主」らはこれらの数字に含まれていない。防衛局によると21年3月現在、普天間飛行場の契約拒否地主は840人いる。

 返還合意から25年を迎えることについて、県軍用地等地主会連合会の又吉信一会長=宜野湾市=は「一日も早く危険を除去し、返還してほしい。(名護市辺野古の新基地建設など)社会状況は見守るしかない」と語った。地権者の増加について「2世や3世に相続され、投資目的で買う人も多く地主が増えていく。価値観もさまざまになって跡地利用の合意形成が難しくなる」と述べた。

 (當山幸都、明真南斗)


遠い返還…宜野湾市や県、計画描けず

 返還合意から四半世紀で、米軍普天間飛行場(476ヘクタール)の地権者(地主)は約1850人増えて4千人を超えた。地権者の細分化が進むほど、跡地利用を進める上で最も重要な合意形成は困難になる。宜野湾市や県は跡地利用の検討を続けてきたが、政府の計画で返還は2030年代にずれ込み、具体的なまちづくりの青写真を描けずにいる。

 「今後10年、15年経つとさらに細分化が進むと見込まれるので、拠点的な施設のための用地を十分に確保することが容易ではなくなってくる」

 沖縄の米軍基地跡地利用に向けて内閣府が設置した「基地跡地の未来に関する懇談会」の昨年の議論では、地権者の増加が与える影響について、有識者から懸念が寄せられた。地権者が世代交代し、投機目的で購入する県外居住者も一定数いるとみられる。

 肝心の返還時期が見通せず、県や市の跡地利用に向けた作業は足踏みせざるを得ない。返還に備えて市や県は検討の場を設け、13年に「中間取りまとめ」を発表した。公園緑地や都市拠点、産業集積地などの配置図を示したが、次のステップとなる跡地利用計画の策定には至っていない。

 市と県は、公共用地の先行買い取りも続けてきた。21年3月までに市は学校用地(11・5ヘクタール)などとして9・8ヘクタールを、県は道路用地(17・1ヘクタール)として11・8ヘクタールを購入している。それでも今なお、普天間飛行場の9割近くが民有地だ。

 政府の現行計画では名護市辺野古への移設工事が長期化し、普天間返還はあと10年以上の歳月を要する。返還期日が見通せないことに、県や市の担当者から「いくら素晴らしい跡地利用計画を作り上げても、使える段階になった時に時勢に合わないものになる可能性がある」との声が上がる。


増える地権者「住みやすさ」より「利益」へ 合意困難な4つの背景… 真喜屋美樹・沖縄持続的発展研究所長

 地権者が増えると合意形成が困難なのは通常の都市開発も同様だが、米軍基地の場合に跡地利用が難しくなる背景は主に4点ある。

 第1に、地権者が基地返還前に政治価格というべき高額の軍用地料を得ていることだ。戦後補償の意味合いもあるが、返還前と同等の高い土地収益を得ようとすると、おのずと地権者の多くは商業型の開発を望むようになる。

 第2に、返還から跡地利用までの時間が長いことだ。基地は返還が決定しても一度に全面返還がかなうとは限らず、部分返還を重ねた上で、最終的な全面返還まで長期に及ぶことが少なくない。返還後の原状回復の期間も長くなる。

 第3に、相続による地権者の増加だ。返還までの時間が長くなるほど数は多くなる。もともとの地権者が持つ「故郷の土地を取り戻す」という思いと異なる状況も生じるため、合意形成を難しくする。

 第4に、投機対象として土地を取得した地権者の存在だ。戦前からの地権者とは全く無関係の人が取得する場合もあり、高収益を目指す意見は強くなる。

 これまでの例では、地権者が安心できる公的な制度が十分に整備されていない状況があり、多様な地権者数の増加は「住み良い街」よりも「より高い利益を」という経済至上主義へと向かいがちだった。

 元米軍施設だった那覇市の新都心は、跡地利用で「新都心」として開発する予定はなかったが、那覇市は都市計画を3度も変更し地権者の要望に応えた。ただその結果、沖縄を代表する商業地だった国際通りは一時空洞化し、現在は観光客のお土産通りになった。地価が高く、地権者の多い都心の再開発がいかに困難であるかを示す例でもある。

(談話)