「おかえりなさい、聖火」1964年東京五輪の聖火宿泊地で代替行事 名護市・嘉陽


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聖火台に点火する藤原蒼一朗さん(左端)ら=1日、名護市嘉陽

 1964年に聖火の宿泊地となった沖縄県名護市嘉陽で1日、聖火リレー歓迎セレモニーが開かれた。当時、ランナーだった久志地区の男性たちが火の付いたトーチを地元の子どもたちにつなぎ、地域の歴史を伝えた。同地区は当初、聖火が通る予定になっていたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になった。代替行事として名護市久志支部体育協会が企画した。

 会場となった美ら島自然学校(旧嘉陽小学校)の校門前には、64年に使われた聖火台がそのまま残っている。

 最終ランナーとして名護市立緑風学園9年の藤原蒼一朗さん(14)が聖火台に点火すると住民らから歓声や拍手が上がった。

コースに設置された「お帰りなさい!聖火」の横断幕=1日正午、名護市民会館前

 徳村政勝さん(76)は64年に、最終ランナーとしてこの聖火台に火をともした。「生きているうちに2度も聖火を見ることができて良かった」と笑顔を見せた。同じくランナーだった棚原憲明さん(76)は「昔のことを思い浮かべた。実際の聖火は来なかったがイベントができて感無量だ」と語った。藤原さんは「大先輩たちの思い、久志地区の歴史を受け継いでいきたい」と話した。