米統治下の沖縄から始まった1964年東京五輪聖火リレーで第1走者を務めた宮城勇さん(78)=浦添市=は、2度目のトーチを手に平和祈念公園を走った。父の保吉さんは、宮城さんが2歳になる前に太平洋戦争で亡くなっており、公園内の「平和の礎(いしじ)」に名が刻まれている。「応援してくれていたと思う」。万感の思いで、約100メートルの区間の一歩一歩を踏みしめた。
地元で走るのを楽しみにしていたが、新型コロナの影響で公道でのリレーが中止に。コースは平和祈念公園に変更された。「考えてみると、父が導いてくれたのかなと感じた」という。
64年は、日本復帰を希求する観衆が沿道を日の丸で埋め尽くした。今回は妻邦子さん(78)が「沖縄から世界に平和を」と願い、かつて自宅で掲げていたという日の丸を振って応援した。
リレーを終えた宮城さんは「感謝と幸運をかみしめ走った。最高の日でした」と振り返り、父に思いをはせた。「おやじと世間話をしたり、酒を酌み交わしたりしてみたかった。親孝行の機会もなかったけど、わずかばかり恩返しはできたかな」