27年ぶり島に戻る!伊是名村民を癒やした教会の鐘 1950年代に時計代わり


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27年ぶりに島に戻ってきた鐘。鐘の正面には「贈伊是名聖霊教会 東京教区信徒」と彫られている=4月25日、伊是名村諸見

 伊是名村に4月14日、27年ぶりに懐かしい鐘が帰ってきた。1954年から6年間、現在の伊是名小学校の体育館辺り、島のほぼ中心の小高い丘の上にあった伊是名聖霊教会の鐘だ。

 当時の村長の伊礼徹さんが、敗戦で打ちひしがれた村民を癒やし、元気を取り戻してもらうためにと、教会を誘致するため村議会にかけ、52年可決された。

 東京の聖アンデレ教会の主任牧師、野瀬秀敏さんが志願し、準備のため島に来た。その当時、ほとんどの家庭にはまだ時計などなく、教会の集会時間を知らせる手段もなかった。野瀬さんは、東京に戻り、島での鐘の必要性を説いたところ、東京の聖アンデレ教会の信徒が、東京の廃寺から鐘(梵鐘(ぼんしょう))を譲り受け伊是名島に寄贈した。54年に教会の建物も完成し、野瀬さんが初代牧師を務めた。

 鐘は高さ110センチ、直径55センチ、重さ250キロ。毎日午前6時、正午、午後6時、日曜日の午前10時30分に、3回鳴らした後に一定のリズムで9回連続で鳴らす教会独特の鳴らし方で島民に時間を知らせた。

 しかし、教会の日曜学校生たちが減り、常任牧師も派遣されなくなり、やむなく教会が閉鎖されると、教会の建物は郵便局、電話通信、歯科診療所などに利用された。

 鐘は村内の村ふれあい民俗館に保管されていたが、94年に那覇市首里にある首里聖アンデレ教会が新築された際に、村から同教会へ贈られた。

 本島で司祭をし、定年後島に戻ってきた高良孝太郎さん(73)=伊是名村諸見区=が「村民の思い出の鐘を島に戻したい」と首里聖アンデレ教会に話し承諾してもらった。

 孝太郎さんの兄、高良孝誠さん(88)=名護市=らに運搬の協力をしてもらい27年ぶりに島に鐘が帰ってきた。鐘は現在、孝太郎さんの自宅前に置かれている。

 孝太郎さんの同級生たちは、鐘を見て「柱によじ登って鐘を鳴らし、牧師に追い掛けられて怒られたな」と少年のような笑顔で思い出話を楽しんでいた。

 前田政義村長は「鐘のことは良く覚えてる。一番の思い出は、年越しの除夜の鐘として島で鳴っていたことだ。いずれはちゃんとした所に置くことを考えたい」と話した。

 (比嘉陽子通信員)