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沖縄のトップランナーを輩出した駅伝が廃止…代替大会を独自で開催した仕掛け人・倉岡弁慶の思い<ブレークスルー>


この記事を書いた人 アバター画像 琉球新報社
たすきを掛けていっせいにスタートするランナーら=3月21日、読谷村の残波岬公園(提供)

 駅伝の「県市郡対抗in残波岬」が今年3月、残波岬公園内を周回するコースで開催された。有志で構成した実行委員会の主催。六つの市郡と高校生のチームの計86人が参加し、たすきをつないだ。40年以上の歴史のある「沖縄一周市郡対抗駅伝競走大会」は交通事情などを理由に廃止となり、幅広い世代でたすきをつなぐ機会はなくなっていた。今大会の仕掛け人となった実行委の倉岡弁慶委員長は「大規模な駅伝大会は沖縄の長距離走の発展につながってきた。中高生と大人がたすきをつなぐ大会をどうにか継続し、地域のつながりや地元に誇りを持ってもらいたい」と意義を語り、大会の発展を目指す。

■継続の声

 沖縄一周市郡対抗駅伝(全島一周駅伝)は県内陸上競技の強化などを目的に本島を縦断するコースで1978年から42回にわたって行われていた。全14市郡が居住選手や出身者でチームを構成。中高生の区間も設けて毎年、競い合ってきたが、2019年2月の第42回大会を最後に廃止となった。

 廃止の理由として(1)公道の規制時、レンタカーの増加による混雑の多発(2)レース渋滞に対する県民、観光客からの苦情(3)交通整理員の増員が困難(4)同時期の県内イベントの増加―が挙げられた。

 一方、市郡の体育協会の関係者からは、安全確保の方法や運営形態の変更・改善によって存続を求める声が多く上がっていた。廃止決定後も競技人口の減少や競技力の低下の懸念のほか、地元選手を応援する風景がなくなることを寂しがる声も聞かれた。

 「誰かが行動に移す必要があった」。倉岡さんは、有志と連絡を取り合い、代替となる大会の開催を計画した。「沖縄のトップランナーはほとんど一周駅伝を通じて成長していった。自分の周りでも『(全島一周の廃止で)走る理由がなくなった』と競技を辞めてしまう人がいた」と、危機感が背景にあった。

 倉岡さんは市郡対抗形式の“ポテンシャル”として(1)中高生と大人がたすきをつなぐ機会は他になく、次世代への橋渡しになる(2)地元チームを近くで応援できること(3)各市郡を代表して選抜され、地元への誇りが生まれる―を挙げ、実施を模索した。

■実施へ向けて

大会の意義を訴える実行委の倉岡弁慶委員長

 全島一周の廃止から期間を長く空けないことを第一目標に準備を進め、ハードルの高い公道ではなく、公園内での実施を決定。3月21日、残波岬公園で開催した。全14市郡が2日間走る全島一周の規模には及ばないが、居住地の同じ大人と子どもが楽しんでたすきをつなぐという狙いは達成できた。倉岡さんは「年齢に関係なく皆が笑顔だった。駅伝のチームプレーのいいところが出ていた」と手応えを語った。

 今回は手探りでの準備となったが、今後はスポンサーの募集など新たな取り組みも検討する。地元の特産品を副賞にしてPRにつなげたり、SNSで上手に発信したり、支援企業にもメリットがある形で募るつもりだ。アンカーが国際通りを走るようにしてラストのデッドヒートを観客に間近で見せるなど、盛り上げる仕掛けを準備していくつもりだ。

 好例として、鹿児島県の「県下一周駅伝」を挙げる。5日間で県内を巡り、自宅や職場から出て応援が繰り広げられる。ボランティアが中継所で特産品を振る舞ったり交通整理に当たったりと、県民一体となって盛り上がる。

 倉岡さんは那覇市の複数の中学校で合同練習を行うなど、地域の競技レベルの向上にも尽力している。「駅伝で各地域が競り合うことで、全体の競技レベルの底上げにつながる」と力を込める。

 さまざまなアイデアをどう実現するかに加え、公道での開催などより大規模な大会にするためには克服すべき課題も多い。次は全市郡の参加を得て大会を重ねることを当面の目標とする。「ようやく開催できた。まだ100パーセントの大会ではないが、次への大きな一歩になった」と第1回を足がかりにつなげていく。

(古川峻)