復帰でパスポート不要に 海洋博、沖縄ブーム…観光客数は49年でどう推移してきたか


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 復帰前の米施政下には日本本土との往来にパスポートが必要で、本土から沖縄を訪れる目的は慰霊訪問や戦跡巡りが中心だった。同時にウイスキーや香水、時計など外国製の製品が安く買える「ショッピング天国」として、土産品店は盛況だった。

 復帰を記念して1975年に開かれた沖縄国際海洋博覧会を機に、沖縄はビーチリゾート地として注目を集めるようになる。海洋博の経済効果に期待し、ホテルの開発ラッシュにも沸いた。しかし、海洋博終了翌年の観光客数が半分以下に落ち込む反動があり、供給過多となったホテルの倒産が相次ぐなど景気は一気に冷え込んだ。

 80年代に国内のバブル景気に合わせて海外旅行が身近となる中で、航空会社や旅行社は沖縄のリゾート性に着目し、イメージアップのキャンペーンを実施。国内客を中心に観光客数は上昇基調を描いていく。

 沖縄の観光イメージの定着は、芸能・エンタメ分野も一体となった90年代以降の沖縄ブームにつながり、2000年の沖縄サミット開催など国内外で沖縄の認知度が高まっていった。

 一方で、01年9月に起きた米中枢同時多発テロでは、米軍基地のある沖縄への修学旅行が敬遠されてキャンセルが続出する事態となった。県や業界で全国を回って沖縄観光をPRするなど、冷え込んだ観光需要を取り戻す運動に官民で取り組んだ。

 その後もリーマン・ショックによる景気悪化、新型インフルエンザ流行など幾度かの困難を経験するが、沖縄観光は基本的に増加基調で推移する。2012年の一括交付金創設などを機に、経済成長著しいアジア地域などへの観光プロモーションも活発になり、海外路線の便数増加が加速。19年には外国人観光客が全体の約3割を占めるようになり、入域客数は過去最多の1016万3900人を記録した。

 だが、世界規模で感染拡大する新型コロナウイルス感染症は、沖縄観光にかつてない危機をもたらしている。20年度(20年4月~21年3月)の入域観光客数は前年度比72・7%(688万5600人)減の258万3600人にとどまり、1988年度の水準にまで一気に落ち込んだ。人の往来が制限され、航空路線の運休・減便、旅行需要の低迷は1年以上にわたって今も続いている。