「戦の愚かさ」継承に決意 「与那原平和の日」で遺族らが献花


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沖縄戦で犠牲になった町民に花を手向ける与那原町遺族会会長の知念勇吉さん(右)=21日、与那原町立軽便与那原駅舎展示資料館

 「与那原町民平和の日」の21日、沖縄県与那原町与那原にある町立軽便与那原駅舎展示資料館には町民や遺族らが訪れ、沖縄戦で3分の1が犠牲となった町民に哀悼の意を込めて、花を手向けた。

 1945年5月21日、運玉森の東側が米軍に占領された。町は2011年に条例で5月21日を「与那原町民平和の日」と定め、毎年記念式典などを開催してきたが、今年は昨年に続き新型コロナウイルス感染防止のため中止となった。

 21日午前には照屋勉町長ら関係者ら9人が集まり、献花式を開いた。式に訪れた町遺族会会長の知念勇吉さん(75)は「子どもたちに平和の尊さ、戦争の愚かさを教える義務がある」と強く語った。名護市辺野古の新基地建設を巡る本島南部からの土砂採取問題についても語り、「南部の土を辺野古の海に埋めるなど絶対にあってはならない」と強調した。「父は沖縄戦の時、防衛隊に召集されて前田高地で亡くなった。戦死した場所は整地され、遺骨は返ってこなかった。南部にはまだ多くの遺骨が残る。全ての遺骨が見つかるまで、沖縄の戦後は終わらない」と話した。

 同館では小学生から高校生22人が参加する「与那原うんたま森合唱団」の合唱の動画が流れた。町役場では、沖縄戦当時の町内の様子を撮影した写真と、同じ位置で撮影された現在の写真を展示したパネル展が行われている。