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ゲーセン看板の下の古着店「オフラインの魅力」 サンライズなはに新しい波<まちぐゎーひと巡り 那覇の市場界隈18>


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2019年に閉店したゲームセンター「ゲームインナハⅡI」の看板を残したまま開店した古着屋「OKINAWA VINTAGE」(オキナワ・ヴィンテージ)の外観=那覇市松尾

 サンライズなは商店街に、若者の姿が増えている。この数年、県民のまちぐゎー離れも指摘されてきたなかで、その姿は明るい兆しだった。若者が吸い込まれるように入っていくのは、「OKINAWA VINTAGE」(オキナワ・ヴィンテージ)という古着屋だ。

 オーナーの李宗遠(イジョンウォン)さん(39)は韓国・釜山生まれ。李さんが古着を扱う仕事を始めるきっかけは、ホームステイでオーストラリアのパースという街に滞在したことだった。

 「パースはすごく自然豊かな街で、環境を守ろうという動きが盛んなところだったんですね。そこで知り合った友達が、古着屋でアルバイトしていたんです。古着はファッションでもありますけど、それと同時にリサイクル産業でもある。僕も洋服は好きだし、自然を守るのはすごく大事なことだと思ったので、自分も古着にかかわる仕事をしたいと思うようになったんです」

 李さんはオーストラリアのリサイクルショップで働きながら、商品として古着を扱うノウハウを身につけてゆく。オーストラリアと韓国、日本と、国によって流行や好みが違うけれど、世界を股にかけて商品を回せば仕事が軌道に乗るのではないかと、「デニムハウス」という屋号で古着卸の仕事を始める。古着卸の仕事は人脈がものをいう世界でもあり、最初のうちは苦労も絶えなかった。出身地をもとに心ない言葉を浴びせられることもあったが、それでも仕事を続けることができたのは、ひとえに「家族のため」だと李さんは語る。

転機

「OKINAWA VINTAGE」(オキナワ・ヴィンテージ)オーナーの李宗遠さん

 古着の仕事と出会ったパースで、李さんは山梨県出身の羽田有香子さん(43)と出会い、結婚。子宝にも恵まれ、仕事も軌道に乗り、2013年には「デニムハウス」を法人化した。東京に暮らしていた李さんが転機を迎えたのは、家族旅行で沖縄を訪れたときだった。

 「韓国で沖縄は『アジアのハワイ』と呼ばれていて、すごく良いイメージがあるんですね。家族旅行で来てみたら、最高に素晴らしいところで、将来ここに移住したいと、もう最初から思ったんです。僕が生まれた釜山も、昔は今のように都会ではなくて、のんびりした港町だったから、いつか自然豊かなところで暮らしたいと思っていたんです」

 念願がかない、2019年の年末に沖縄へ移り住んだ。移住を機に、李さんは沖縄で倉庫を借りることに決めた。取引先には台湾の業者も多く、沖縄に倉庫があれば商談にも都合がよかった。無事に物件の契約を済ませ、ホッとしたのもつかの間、新型コロナウイルスが流行し始めたことで、台湾からお客さんが商談にくることはできなくなってしまった。

ゲーセンの看板

上着やジーパン、帽子、かばんなど多様な商品が並ぶ店内
商品を整える店員の大嶺麻菜さん。「お客さんは高校生から20代の方が多い」と話す

 「コロナが流行し始めたときに、『これはいくら待っていても先は見えないだろうな』と思ったんです」。李さんはそう振り返る。すぐに頭を切り替えて、倉庫として使うつもりだった場所で古着屋を始めることに決めた。その物件というのは、2019年9月に惜しまれつつ閉店したゲームセンター「ゲームインナハII」だ。

 「最初に物件を見にきたときは、内装にもゲームセンターだった名残が感じられたんです」と李さん。「皆さんに愛されていたゲームセンターだったことを考えると、この古さを残したほうがいいんじゃないかと思って、『ゲームセンターの看板をそのまま残してもいいですか?』と大家さんに確認したんですね。そこで『ああ、使ってもらえたらうれしいよ』と言ってもらえたので、ゲームセンターの看板を残したまま古着屋を始めました」

 オープンにこぎ着けたのは、最初の緊急事態宣言による休業要請が解除されたあと、去年の5月16日のことだった。最初の数カ月は、閑古鳥が鳴く日が続いたが、次第に口コミで評判が広まり、お客さんが増えてゆく。

 「うちはもともと卸の会社なので、金額的にはどこよりも強みを持っていると思うんです」と李さんは語る。店内に並ぶ商品の値札を確認すると、1580円や1980円と、高校生でも手を伸ばしやすい手頃な値段が目につく。“安くてジョートー”をコンセプトに営業を続け、開店から1年たった今では若者でにぎわうお店になった。

 「この1年というのは、変化しないといけないなってことを感じた1年でした。商売のやりかたもそうですけど、ウイルスの影響で人との距離感も変わってきたなかで、これからのことをすごく考えましたね。『これからはネットビジネスが伸びる』という意見もあって、それも確かなことだと思うんですけど、こんな時代だからこそ、オフラインの魅力があると思うんです」

混ざり合う潮流

店内にたくさんの古着が並ぶ

 李さんの語る「オフラインの魅力」を、この1年で多くの人が痛感したはずだ。実際に手に取って、商品を選ぶ。今まであたりまえのように繰り返してきたことが、いかにかけがえのないことだったか。

 コロナ以前から、まちぐゎーには少しずつ空き店舗が増えつつあった。サンライズなは商店街にも閉店してシャッターを下ろした建物が増え、「座込禁止」の貼り紙をあちこちで見かけるようになった。何十年と続いてきたお店が姿を消すのはとても寂しいことではあるけれど、空き店舗を利用して新しい動きも生まれつつある。

 「ここは歴史ある通りだから、自分たちが新しくお店を始めることで、ちょっとでも人の流れが増えるといいなと思っているんです」と李さんは語る。5月21日には、同じくサンライズなは商店街にあった老舗衣料品店「とみや」の跡地を借り受け、2店舗目となる古着屋「AWESOME」(オーサム)もオープンさせた。

 古来より沖縄には、様々な土地から人々が渡来し、次々と新しい文化が持ち込まれてきた。昔ながらの伝統と新しい潮流とが混ざり合い、変化を重ねながら那覇の街は発展してきた。今年で市政100周年を迎えた那覇の街は、これからも変わり続けてゆくだろう。その変化を、余すことなくつぶさに見届けたい。

(ライター・橋本倫史)

 はしもと・ともふみ 1982年広島県東広島市生まれ。2007年に「en-taxi」(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動を始める。同年にリトルマガジン「HB」を創刊。19年1月に「ドライブイン探訪」(筑摩書房)、同年5月に「市場界隈」(本の雑誌社)を出版した。


 那覇市の旧牧志公設市場界隈は、昔ながらの「まちぐゎー」の面影をとどめながら、市場の建て替えで生まれ変わりつつある。何よりも魅力は店主の人柄。ライターの橋本倫史さんが、沖縄の戦後史と重ねながら、新旧の店を訪ね歩く。

(2021年5月28日琉球新報掲載)