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「大きい人」に合わせられた社会で…<伊是名夏子 100センチの視界から>98


この記事を書いた人 Avatar photo 玉城江梨子
アメリカに留学していた時、Boys and Girls clubでボランティアしていました

 子どもを大切にしたい、子どもの話を聞きたい、子どもが生きやすい方法を考えたい、そう願っている私。この「子ども」の中に、わが子も含まれますが、この世界に生きるすべての子ども、と言う意味で、ずっとそう思い続けていました。外国の子どもたちを支援するNGOで活動したり、フリースクールのスタッフや教員をしたりと、子どもと関わっていました。

 しかし最近、子どものためというよりも、私が子どもに間違われ、嫌な思いをしたり、大きい人に合わせて作られたこの社会が不便で、子どもに自分を投影し、子どもを守りたいと思っているからではないかと気づいたのです。

 4月に「JRで車いすは乗車拒否されました」とブログにつづったところ、ネット上での誹謗(ひぼう)中傷は今でも続いています。それは私が障害者だからというだけでなく、女性であり、さらに小さい体で、弱そうに見えるからではないか、と数人から言われました。

 私が日ごろ感じる生きづらさは、子どもが抱えているものと似ていると感じます。スーパーに買い物に行っても、商品が高いところにあって見えない、もしくは届かない。レジの列では横入りされる。レストランで私が注文しても、店員さんはそばにいる人に確認する。食事をするときに机が高すぎて、奥にあるものが視界に入らず、こぼしやすくなる。お皿やお箸が重い。私が店員さんに「すみません」と声を掛けてもなかなか振り向いてもらえない。他のお客さんには敬語で話すところを、私には子どもに話しかけるような口調になる。

 そんな対応を私にする人たちは悪気があるわけではなく、障害者は特別なもの、もしくは保護者が必要な人と思い込んでいるのかもしれません。ただ気づいてほしいのは、この世の中は、体の大きさが160センチ前後の歩ける人にとって使いやすいものであふれていて、それに当てはまらない人には、使いづらいものばかりです。

 また子どもや障害者は弱く、誰かに保護され、意見が聞き流されることがあっても仕方ないと思う人もいるかもしれません。しかし人は誰でも対等で、その人自身が弱いのではなく、社会の権力構造の中で、下にいるせいで不利なことが多いのです。

 子どもや、目の前の自分とは違う人に耳を傾け、その人が豊かになれる暮らしを目指しませんか? それは時間がかかっても、あなたをはじめ、いろいろな人の幸せにつながると信じています。