母、4人の子抱え艱難辛苦 渡久地昇永さん 山の戦争(1)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
渡久地昇永さん

 本部町伊野波の渡久地昇永さん(90)から原稿用紙に記した長文の沖縄戦体験記が届きました。渡久地さんはこれまでも私家版で半生記をつづったり、戦争体験を証言したりしてきました。76年前、渡久地さんは米軍から逃れ、本部の山をさまよいました。

 渡久地さんは1931年2月26日、南米ペルーのリマ市で生まれました。

 伊野波出身の父、甚四郎さんは25年、ペルーへ移住し、先に渡っていた兄と共にリマ市内で商売を始めました。30年、同郷の仲程かまどさんを呼び寄せて結婚し、昇永さんが生まれます。その直後、甚四郎さんは体調を崩し、療養のため、家族で本部に戻りました。
 帰郷後、伊野波に赤瓦の家を建てて暮らし、妹と2人の弟が生まれました。しかし、昇永さんが小学校1年の時、甚四郎さんが46歳で亡くなります。

 《母は4人の子を背負って農業をしなければならなかった。亡父は死の前に母に再婚しなさいと言い残したが、母は納得しなかった。4人の子を抱え艱難辛苦(かんなんしんく)が始まった。
 幼児を負んぶして田畑を耕し、イモ類や野菜、稲作りをしなければならなかった。僕は長男で一番上なので、母の手伝いを小学校1年の頃からいろいろとやらねばならなかった。》

 甚四郎さんが亡くなった時、長女は4歳、末の弟はまだ2歳でした。働き手の父を失った家族は伊野波で苦しい生活を送ります。

 ◇ ◇ ◇
 2019年10月から20年10月まで掲載した連載「読者と刻む沖縄戦」を再開します。読者のお便りと証言で沖縄戦体験を記録します。沖縄本島北部の山中での戦争体験を紹介します。