艦砲射撃始まり避難 渡久地昇永さん 山の戦争(7)<読者と刻む沖縄戦>


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現在の本部町伊野波の集落。米軍の砲撃が始まり、住民は山へ避難した

 渡久地昇永さん(90)=本部町=は緊迫した空気の中で1945年の正月を迎えました。

 《新年を迎えたという感慨はなく、戦争が一歩近づいたという実感がますます募ってきた。》

 米戦闘機の飛来で空襲警報が相次いでいました。灯火管制の下で住民は不安な夜を送りました。

 《戦闘能力のある若者のいなくなった銃後では一億玉砕が叫ばれ、初老の男たちや僕たち高等科生も竹やりをこしらえ、訓練が行われるようになった。バケツリレーによる消火訓練も行われた。「勝利の日まで」の歌を僕たちはよく歌い、神国日本の最後の勝利を信じて、来たるべき戦争に備えていた。》

 そして3月末、米軍の艦砲射撃が本部を襲います。渡久地さんが通う本部国民学校は高等科の卒業式を控えていました。

 《僕はいつもより早起きして登校の準備をしていた。すると突然海の方角からポンポンという砲音がとどろいたかと思うやいなや、ヒュードカンと艦砲弾が僕たちの頭越しに飛んできて、近くの森にある友軍の陣地付近で炸裂(さくれつ)し始めた。僕たち家族は朝食を放り出して一目散に近くの谷間にある防空壕へ飛び込んだ。》

 その後、一家5人は持てるだけの食料を持って山奥に築いた横穴の防空壕に移り、避難生活を始めます。