「水をあげることできなかった」助け求める女性の声、今も…76年経ても消えない後悔


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沖縄戦の体験を語り「二度と繰り返してはならない」と語る渡口彦信さん=20日、読谷村

 【読谷】「兵隊さん、水をください」―。1945年6月、糸満市摩文仁の道を敗走する日本軍の兵士たちの中にいた渡口彦信さん(94)=読谷村=は、か細い声を聞いた。負傷した女性が助けを求めていた。「米軍から逃げることで精いっぱい。顔を合わせたのに水をあげることもできなかった」と後悔を語る。沖縄戦から76年。今も心残りに感じている渡口さんは「戦争は人の心を狂わせる。二度と繰り返してはならない」と語る。

 渡口さんは県立農林学校の卒業直前に徴兵され、18歳だった45年3月1日に日本軍球2172高射砲部隊に入隊。米軍上陸後は日本軍の「転進」に伴い南部に弾薬を抱えて行軍した。

 助けを求める女性の声を聞いたのは糸満市米須から大渡に向かう時だった。「今も糸満の街道を通ると、あの女性の声が聞こえてくるようだ」と語る。

 米須では艦砲射撃で亡くなった戦友の大迫一徳さん=奄美市出身=を穴に埋めた。「遺骨を古里に返したい」と語るが、遺骨の行方は分かっていない。

 摩文仁の海岸で米軍の捕虜となった渡口さんは、ハワイの捕虜収容所に移送された。沖縄から3千人余が移送され、亡くなった人もいた。12人の遺骨が日本に戻されたが、その後の所在が分かっていない。

 戦後は講演会などで体験を語り、沖縄戦を巡るさまざまな活動に取り組んだ。しかし糸満で助けることができなかった女性のことなど、いくつも「心残りがある」と語る。

 国会で憲法改正手続きに関する改正国民投票法、基地周辺住民が監視される可能性がある土地規制法が成立した。「戦争につながる手だてになる。戦前、人殺しを英雄にする社会を作った責任は政治にある。絶対に繰り返してはならない」と語った。
 (宮城隆尋)