マラリア発症し6歳で死去…戸籍にもない姉「存在を残せた」 76年経て「平和の礎」に追加刻銘


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平和の礎に追加刻銘された異母姉「屋比久ヨシエ」さんの名前を孫らと囲みほほ笑む屋比久正人さん(左端)=23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園

 【糸満】南城市知念安座真の看護師、屋比久正人さん(62)は、23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園にある平和の礎を訪れ、ことし追加刻銘された異母姉「屋比久ヨシエ」さんの氏名が彫られた刻銘板に手を合わせた。姉は戸籍に残っておらず、成人するまで存在を知らなかった。「姉がいたことを残さないといけない」。刻まれた名をなぞり、指で感じた。

 ヨシエさんは疎開先の久志村(当時)でマラリアを発症し、1945年12月28日に6歳で亡くなった。沖縄戦ではヨシエさんの弟で5歳だった竹吉さんも亡くなった。

 「2人も補償の申請するの」。戦後、周囲からこう言われた父は竹吉さんだけの死を届け出たという。そのため、これまでヨシエさんの戸籍などの記録はなく、平和の礎が建てられた際に刻銘されたのは竹吉さんだけだった。

 ただ、6年ほど前に父が亡くなった頃、沖縄戦当時に一緒に避難した従姉妹(いとこ)がヨシエさんのことや戦後間もない当時の状況を詳しく教えてくれた。「証言できる人がいなくなる。今しかない」と考えた屋比久さんは従姉妹の証言を頼りに追加刻銘を申請した。

 23日、屋比久さんは妻の美佐子さん(61)、孫の聖煌(いぶき)さん(8)、聖音(せらと)さん(7)と一緒に平和の礎を訪れ、竹吉さんとヨシエさんの名に向かい花とお茶を手向けた。「兄と姉が亡くなって、私が生まれた。孫たちも大きくなった時に意味が分かるだろう」。公園ではしゃぐ孫たちを見詰めほほえんだ。
 (仲村良太)