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バルも休業、魚を台車で売り歩く…酒好き2代目は「コラボ」に活路<まちぐゎーひと巡り 那覇の市場界隈19>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
創業者の平良友二さんの名前から一字を取って店名にした「魚友」=那覇市松尾

 ある日の夕暮れ時。まちぐゎーをぶらついていると、台車を押して魚を売り歩く人と出会った。氷を敷き詰めた発泡スチロールの箱に、お刺身の盛り合わせとお寿司が並んでおり、台車に値札が張り出してある。聞けば、これから知り合いの飲食店を巡り、鮮魚の出張販売に出掛けるところだという。台車を押していたのは、鮮魚店「魚友」の2代目・平良晴(はれる)さん(33)である。

父の頼みで店に

 「魚友」を創業したのは、晴さんの父・友二さん(62)。那覇に生まれ育った友二さんは、まちぐゎーにある「節子鮮魚店」で働いたのち、32歳で独立。自身の名前から一字取って「魚友」と看板を掲げ、松尾2丁目中央市場に店を構えた。

 小さい頃から父が働く姿を見ていたけれど、自分が継ぐことはまったく考えていなかったという。晴さんが夢中になっていたのは音楽で、ミュージシャンとして活動しながらアルバイトをして暮らしていた。ある日、「店が忙しくなってきたから手伝ってもらえないか」と父に頼まれ、「魚友」で働き始める。以前は卸を中心に営業していたが、2013年5月に現在の建物に移転すると晴さんは「バル 晴(はれる)ヤ」と看板を掲げ、軒先で生がきやお刺身をツマミにお酒を提供し始める。

 「最初はもう、安易な考えで始めたんです」と晴さんは笑う。「自分はお酒が好きなんですけど、毎日飲みに行くとお金が持たないなと思ったんですね。だったら自分でお店をやって、そこに友達を呼ぼう、と(笑)。最初のうちは知り合いだけだったんですけど、目の前に公設市場があったから、観光のお客さんが入ってくれるようになって、少しずつメニューも増やしたんです」

商品棚に並ぶ新鮮な県産のマグロやミーバイなどのさしみ

風景が一変

 昼間は観光客、夜は地元客でにぎわっていた「魚友」だったが、2019年6月16日に旧・公設市場が一時閉場を迎えると、界隈の風景は一変する。

 「建て替えが決まったときは、『昔から見慣れている建物がなくなるのは寂しい』とは思ってたんですけど、お店に影響が出るとは思っていなかったんです。でも、公設市場が仮設に移転すると店の前を歩く人が減って、これはヤバいなと焦りました。ただ、うちは軒先にテーブルを三つ並べて営業してるだけだから、まだ影響は少なかったほうだと思います」

 「魚友」があるのは、旧・公設市場から仮設市場への通り道だということもあって、一時閉場後もそれなりに人通りはあった。だが、去年の春に新型コロナウイルスの感染が拡大し始めると、まちぐゎーは静まり返った。魚を卸している飲食店も休業や短縮営業に切り替えているお店が多く、売り上げも激減。それでもどうにか営業を続けてきたところに、先月23日、再び緊急事態宣言が発出された。

出張販売で台車を押し、魚を売り歩く「魚友」の2代目店主の平良晴さん(写真撮影時に限り、マスクを外しています)
店頭に並ぶ魚のあら

 「売り上げ的には前回の緊急事態宣言と同じくらいの下がり方ですけど、精神的には今のほうがキツいですね」と晴さんはつぶやく。「最初の緊急事態宣言で『飲食店の営業は午後8時まで』と言われたときは、それじゃ仕事にならないよと思ってたんですけど、段々それにも慣れてきて、今の状況に対応しながら営業してるお店が多かったと思うんです。これ以上悪くなることはないと思っていたら、お酒の提供も駄目だと言われると、今度こそ何もできないな、と」

 今回の緊急事態宣言がこれまでと異なるのは、酒類の提供停止が「要請」されたことだ。お酒を出さずに営業を続ける選択肢もあったが、「お酒が飲めないんだったら」と帰ってしまうお客さんも少なくなかった。緊急事態宣言が発出されてからは、テーブルを店内にしまい込んでテイクアウトに絞って営業している。ただ、まちぐゎーを行き交う人は少なく、売れ行きは芳しくなかった。そんなとき、営業を続けている飲食店の店主から「うちに出張販売にきたら?」と声をかけられた。

 「この界隈の飲食店は、『皆で盛り上げていこう』ってタイプの人が多いんです。自分のお店のお客さんに、どこか別のお店を紹介することもあるし、お店同士でコラボしたメニューを出すこともある。『ちょっと人手が足りないから、ヘルプで入ってもらえないか』と頼まれたら、ただ皿洗いしに行ってるだけなのに、『今日はここのお店とコラボしてます』と宣伝したり(笑)。そうやってちょっとイベントっぽく盛り上げることで、お客さんが遊びにきてくれることもあるんです」

カミアチネー

牧志公設市場の解体工事が始まる前の「魚友」周辺の様子

 出張販売にこないかと誘われたとき、思い浮かんだのはカミアチネーする女性たちの姿だった。晴さんは糸満育ちで、昔は頭上にバーキを載せ、魚を行商する女性たちがいたのだと、小さい頃から話を聞かされていた。そのエピソードからヒントを得て、月曜と火曜の2日間、夕方から市場界隈にある知り合いの飲食店を巡り、売り歩きを始めた。売れ行きは上々で、1時間とたたないうちに用意したセットが完売した。

 市場の建て替え工事と、コロナ禍。さらに、「魚友」のある通りには仮設アーケードが設置されていたけれど、6月7日から撤去工事が始まった。緊急事態宣言が解除されても、以前のようにアーケードに守られた場所にテーブルを並べることはできなくなってしまう。移転も頭の片隅に浮かんだが、「那覇のど真ん中というこの立地で商売が成り立たないんだったら、どこに行っても難しいかもな」と思い直したという。コロナ禍が明けて、自由にお酒が飲める日を願いながら、晴さんは魚を売っている。

(ライター・橋本倫史)

 はしもと・ともふみ 1982年広島県東広島市生まれ。2007年に「en-taxi」(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動を始める。同年にリトルマガジン「HB」を創刊。19年1月に「ドライブイン探訪」(筑摩書房)、同年5月に「市場界隈」(本の雑誌社)を出版した。


 那覇市の旧牧志公設市場界隈は、昔ながらの「まちぐゎー」の面影をとどめながら、市場の建て替えで生まれ変わりつつある。何よりも魅力は店主の人柄。ライターの橋本倫史さんが、沖縄の戦後史と重ねながら、新旧の店を訪ね歩く。

(2021年5月28日琉球新報掲載)