[日曜の風・室井佑月氏]懸けると賭ける 遠慮するメディア


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室井佑月 作家

 23日付の「JIJI.COM」の「政権懸ける菅首相 ワクチン加速に自信、感染急増なら戦略狂い―東京五輪一カ月前」という記事の中に書かれてあった。「五輪をやらないという選択肢はない。10年後、20年後に『あのときパンデミックでよくやった』と評価される五輪になる。菅内閣の閣僚は6月中旬、もはや『中止』はあり得ないと断言した」と。

 あのときにパンデミックでよくやった? そう評価されると思っているのが恐ろしい。常識的に考えれば、逆だろ。あの時代の政治は野蛮だった、そう評されることになるだろう。

 東京五輪開催、いくら感染症対策をしても、あたしたちへのリスクはゼロとはならない。危険度は増すだけ。それを知っていて強行しようとする人は、あたしたちの命や健康など足げにしてもいいと思っている人だ。

 記事にはこうも書かれていた。「菅首相が東京五輪・パラリンピックを新型コロナウイルスの世界的流行(パンデミック)下で断行することは、政権の運命を左右する大きな賭けとなる」

 つまり、菅首相は東京五輪で国威発揚を狙い、その勢いで秋までに行われる衆議院選に臨みたい。五輪を政治的に利用したい。けど、大会中に感染が拡大したら、選挙は劣勢になるかもしれない、と。

 菅首相はなぜ今、国家として国民を守るという最低限のことさえ頭にないのだろうか。あたしたち多くの人間の命や健康は、この人にとっての現在の立ち位置や、政党の存続より、軽いと見なされたわけだ。

 そして、この記事の中でもう一つ気になることがあった。見出し文は「政権懸ける」なのに、本文では「賭ける」という言葉を使っている。一生懸命に取り組むという意味もある「懸ける」より、あたしたちの命や健康をばくち打的に使う「賭ける」の方が正しいと思うけど。見出しの「懸ける」は誰に遠慮したのか分かる。

 メディアはこれ以上、あたしたちを裏切らないでほしい。

(室井佑月、作家)