家族、マラリアで苦しむ 渡久地昇永さん 山の戦争(11)<読者と刻む沖縄戦>


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住民を収容した名護市大川。マラリアの犠牲者が多かった

 米兵に捕らわれた渡久地昇永さん(90)=本部町=ら伊野波の住民は渡久地の収容所から一時、自宅に戻ることができました。

 食料は足らず、山野や日本軍の陣地壕を回り、食料を集めました。陣地壕には日本兵の遺体が放置されたままでした。集めた食料を日本軍の敗残兵に要求されたこともありました。

 その後、大浦崎収容地区に移動します。現在の米軍キャンプ・シュワブです。さらに伯父の渡久地甚助さん一家と共に大川の収容地区に移動します。この地で家族はマラリアに苦しみ、甚助さんは赤痢で命を落としました。

 渡久地さんは大浦崎収容地区にできた高校に通うようになります。その後、田井等高校(現名護高校)に編入し、卒業後は教職の道を歩みました。

 1990年に本部小学校校長を最後に教職を離れ、その後は地域活動に取り組みます。沖縄戦体験記を含む半生記「昭和史を生きて」など5冊の本も編みました。

 戦場で見た日本兵の遺体に「戦争の恐ろしさ、無残さ、醜さ、悲しさとむなしさ」を実感したと言います。76年を経た今も、その思いは変わりません。


 渡久地昇永さんの体験記は今回で終わります。取材・執筆では半生記「昭和史を生きて」「石くびり 伊野波区誌」を参考、一部引用しました。次回から山内輝信さんの体験記です。