日本軍、各集落に部隊配備 山内輝信さん 山の戦争(13)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
現在の恩納村仲泊の集落

 山内輝信さん(84)=恩納村=は父の明信さんが飛行場建設のため伊江島へ行った後、母や祖父、きょうだいと恩納村仲泊の家で暮らしていました。隣近所の手助けで庭に簡単な防空壕を掘りました。

 1944年8月、日本軍が恩納村に駐屯します。「恩納村民の戦時物語」(恩納村遺族会編)によると第24師団歩兵第32連隊が山田国民学校に本部を置き、各集落に部隊を配備しました。仲泊でも公民館や大きな家に日本兵が暮らし、陣地構築を進めます。

 「仲泊には騎兵隊が来ていました。北海道の馬だと言っていたようです」と山内さんは語ります。

 兵士の食料は十分ではなかったようでした。

 「広い民家にいて防空壕掘りをしている兵隊のところに小さな僕らが行くと、『イモを持って来い、坊や』と言うんです。ひもじかったんでしょうね」

 10・10空襲の日のことも憶えています。最初は米軍機の空襲とは思いませんでした。

 「那覇から飛んできた飛行機だということで眺めていたんです。すると空襲だと分かって大騒ぎになり、防空壕に避難しました。日本兵が機関銃みたいなものをバンバン撃っていたが、届くわけないですよね」

 10・10空襲の後、仲泊に駐屯していた日本兵はいなくなったといいます。