カナダのジェノサイド 先住民埋葬地発見の衝撃<乗松聡子の眼>


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 「これはカナダが犯したジェノサイドの証拠だ」。6月24日、カナダ内陸部サスカチュワン州の「主権を有する先住民族連合」のボビー・キャメロン会長はこう発言した。同州にあった先住民寄宿学校の跡地から推定751人もの墓標もない墓が地中レーダー技術により確認されたことを受けての記者会見であった。

 さかのぼる5月27日には、西部ブリティッシュコロンビア州の学校跡でも215人の埋葬地が見つかっており、「これは氷山の一角のはずだ」という多くの先住民の予想を早くも裏付けることとなった。

 カナダでは先住民族を主に「ファースト・ネーション」と呼び、全国に630を超えるコミュニティーと、50を超える言語が存在する。北米に人類が到達したのは1万4千年か、それ以上前と言われており、15世紀以降、欧州人が来たときには既に多様な先住民族の文明があった。「カナダ」とは、その先住民の土地の上に英仏の植民者が作った植民国家である。

 その過程でおぞましい「ジェノサイド」(民族の殺りく)が起こる。カナダ政府は先住民の文化が「野蛮」だから「文明化」が必要であるという差別的思想に基づき、「インディアン・レジデンシャル・スクール」という寄宿学校制度を作った。19世紀後半から20世紀終盤にかけて、通算約15万人の子どもたちが、全国139校にも上るキリスト教会諸派が運営する同化施設に行かされた。

 親元から、伝統社会から引き離され、施設に到着次第、民族服を脱がされ、シャワーを浴びせられ、髪を切られ、番号で呼ばれ、民族の言葉を禁じられた。聖職者による虐待、男女を問わずの性暴力が横行した。栄養不足で衛生状態も悪く、結核などの病気がまん延し、亡くなる子は後を絶たなかった。神父に妊娠させられ生まれた子は葬り去られた。逃げて捕まった後、むち打ちの拷問を受けたり、逃亡に成功しても厳寒の地で凍死したりした。

 この歴史がもたらしたおびただしい被害と世代を超えたトラウマ(心の傷)について、カナダ政府は先住民と2006年に和解協定を結び、08年には首相が国会で謝罪、その後、「真実と和解委員会」が全国で7千人以上の体験者の聞き取りを行っている。委員会は4100人以上の死を把握したが、実際にははるかに多いはずだという訴えもある中、政府の真相究明努力は十分とは言えなかった。

 寄宿学校の6割を運営していたカトリック教会も記録を出し渋り、当事者の強い求めにもかかわらずローマ教皇はいまだに謝罪していない。

 発見された埋葬地について先住民の多くは「全て“クライム・シーン”(犯罪現場)として扱え」と言っている。被害者を一人一人特定し、いつなぜ死んだのかを徹底調査し、責任を追及せよという正当な要求だ。体験者の話を聞いても、死者を軽視してきたカナダ政府とカナダ国民全員に、植民地主義を問うているのである。

 沖縄でも、全土に(現存の基地を含め)沖縄戦で殺された人々の遺骨が今も埋まっている。日本の植民地支配の下、皇民化教育という同化政策を強いられた揚げ句、日本の戦争に動員され、巻き込まれ、スパイ視され、殺された、大量殺人の現場なのだ。この事実一つを取っても、沖縄の土砂を使って沖縄の土地に、海に、基地を造るなどあり得ないのだ。日本政府は、声なき死者の遺骨に向き合うべきだ。 

(「アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)