宇土部隊駐屯で集落は変貌 照屋次央さん 山の戦争(19)<読者と刻む沖縄戦>


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宇土部隊が本部を置いた本部町伊豆味

 照屋次央(つぐひさ)さん(85)=浦添市=が住んでいた本部町伊豆味に日本軍の独立混成第44旅団第2歩兵隊(国頭支隊、通称宇土部隊)の本部が置かれたのは、1944年10月のことです。その後、集落の雰囲気は変わっていきます。

 宇土武彦支隊長は伊豆味集落内の民家に滞在していました。父の忠次郎さんが「沖縄県史」に残した証言では「閑静な伊豆味の村が、すっかり殺伐たる兵隊の町に変貌を遂げてしまった」といいます。宇土支隊長は「ほとんど毎日のように酒色に耽(ふけ)っていた」という態度でした。

 伊豆味には「慰安所」が置かれました。次央さんは「われわれが勉強していた公民館も慰安所になった。兵隊が一列に並んでいました」と語ります。

 「慰安所」の女性について忠次郎さんは「辻遊郭から連れて来られたジュリグワ(遊女)たちであった」と証言しています。次央さんは「朝鮮の女性がいた」と話し、「兵隊がコンドームを捨てるでしょ。僕らは風船のように膨らませて遊んだよ」と振り返ります。

 伊豆味には「軍夫」として重労働を強いられた朝鮮の男性もいました。

 「荷物運びをさせられていました。腹が減っていたんでしょう。イモをもらいにきていました。大人たちは朝鮮人のことを『朝鮮ピー』といって非常にばかにしていました」と次央さんは話します。