スパイ容疑 住民殺害を目撃 照屋次央さん 山の戦争(22)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ
家族がさまよったイシンバ山の山頂付近

 乳児が日本兵に殺された後、照屋次央(つぐひさ)さん(85)=浦添市=の家族は、危険を感じた父の忠次郎さんの指示で壕を出ます。

 《子連れの避難者はここでは危ないと父は判断し、壕を出た。険しい山道や谷間を転々としていると日本兵5、6人と遭遇した。「米軍は近くに来ている。もっと山奥に避難したほうが良い」と言われた。

 日本兵について行った方が最善だと考えたが、日本兵は振り向いて「ついて来るな。来たら殺すぞ」と刀を振りかざして私たちを脅した。住民を保護すべき立場にある友軍なのに何という不埒(ふらち)な奴らだと思った。》

 家族はその後も山中をさまよいます。

 《私たち11人は75歳の祖父を支えながら、あてもなく避難所を探すために、鬱然(うつぜん)とした山道を登った。

 全身血まみれの男女の死体やパンパンに膨らんだ死体をまたぎながら逃げ続けた。山道を下りてしばらくすると日本軍の壕が数カ所あった。日本軍の姿はなく住民が避難していた。》

 その後、数人の日本兵が現れ、ある家族を壕から呼び出しました。夫と乳児を抱いた妻です。日本兵は夫を米軍のスパイだとして疑っていました。

 《日本兵は「国賊め」と言うやいなや夫の首を切り落とした。夫は土下座して命乞いするが、問答無用だった。他の日本兵は乳児を抱いて逃げる若妻を背後から斬り、平然と林の中へ消えて行った。》