ソテツ食べ命つなぐ 照屋次央さん 山の戦争(26)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子
家族が避難したイシミジ山の山道

 本部の山々をさまよった照屋次央(つぐひさ)さん(85)=浦添市=の家族は食料不足に苦しみました。伊豆味の家から持ち出した米は底をついていました。家族は山中で植物や生き物を食べ、必死に命をつなぎました。

 《食料は尽き果てていたので巧妙に何でも食べた。蝉の幼虫、ヤマガエル、カタツムリ、野ネズミ、ヘビ、ツワブキ、ソテツ。ソテツは山野に豊富に自生していて、伊豆味では自由に採取できる植物だった。しかし、食するには手間がかかった。

 ソテツを食するには幹を1センチの厚さに輪切りにして、バケツなどに入れておき、白い虫(ウジ虫)が出たら、毒素が消えたものとして煮込んで食べた。スープに白い虫の死がいが浮いているのが普通で、何の汚らしさも感じず、腹いっぱい食べたことを思い出す。

 私はソテツに毒素があることを疑問視していたが、後に死に至るほどの毒があることを知った。あの時、中毒を未然に防いだ父を家族でたたえた。》

 山中で避難生活を送る中で75歳の祖父が砲弾の破片を受けて亡くなります。次央さんの父、忠次郎さんは「沖縄県史」に次の証言を残しています。
 《死んだ父のために形だけの仏壇を作り、木片でこしらえた位牌(いはい)を安置し、生前父が好きだった煙草(たばこ)を供えていた。》

 戦火を逃れ、飢えに苦しみながら次央さんら家族は祖父を弔いました。