「泣かすな」日本兵が乳児惨殺 照屋次央さん 山の戦争(21)<読者と刻む沖縄戦>


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艦砲射撃が始まり、照屋さん家族が避難したイシンバ山

 米軍の艦砲射撃が始まり、照屋次央(つぐひさ)さん(85)=浦添市=の家族11人は伊豆味の北部に位置するイシンバ山に避難します。そこで日本兵の残虐な行為を目撃します。

 《壕の中には既に5、6世帯の子連れの家族が入っていて、爆音に驚いた乳児が泣きじゃくっていた。しばらくすると日本兵が現れ、「子どもを泣かすな」「泣かすと米兵が来る。早く静かにせよ」と強権的に命じた。

 壕には私の妹の幸子の他に2人の乳児がいて、3人とも大声で泣きじゃくっていた。父母たちは一生懸命あやしたが泣きやまない。

 すると日本兵の一人が踏み込んできて、乳児の両足をつかんで母親から奪い取り、頭を岩に叩きつけた。もう一人の日本兵も母親から乳児を奪い、地面に投げ捨て短銃で殺した。

 奥でそれを見ていた私の母親は幸子を抱きしめて壕から飛び出し、茂みの中へ逃げ込んだ。乳児を惨殺された母親は壕の片隅で泣き伏せていた。》

 幸子さんは1944年生まれ。母ナヘさんは茂みの中で水を欲しがる娘に木の葉を使って自分の尿を飲ませました。ナヘさんは18年前に他界しました。幸子さんは今も戦場で命を守ってくれた母に感謝しています。

 《妹は101歳で他界した母をしのび、命日には1回も怠らず、遠隔の地にある墓前に行き、冥福を祈っています。》