[日曜の風・浜矩子氏]政権の「おどし委託」 金融機関働き掛け


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浜矩子 同志社大・大学院教授

 わが宿敵スカノミクスおやじ、すなわち菅義偉首相率いる政権が、またしてもとんでもない挙に出た。コロナ対応の緊急事態宣言を受けて、飲食店向けに発出された酒類提供停止要請に関するものである。

 この要請に従っていない飲食店に関して、二つの方針が打ち出された。第一に、「要請破り」飲食店に対して、取引金融機関が要請順守を「働き掛ける」よう求める。第二に、酒類販売業者に対して、同じく「要請破り」飲食店との取引停止を求める。いずれの方針も、関係業界と世論の猛反発を受けて、早々に撤回された。

 だが、撤回されればいいというものではない。そもそも、このようなやり方を思いつく政策責任者たちの心理がおぞましい。幸いにして不発に終わった今回の二つの方針は、いずれも、実に強権的でどう喝的だ。このような形で政府方針に人々を従わせる。それをすることが、民主主義体制の下でどれほどの禁じ手であるか。そこに多少なりとも思いが及ばなかったのか。そうだとすれば、そのような連中に政治と政策を任せておくわけにはいかない。

 いずれ劣らず許し難い二つの方針だったが、特に気になったのが金融機関に飲食店への政策的どう喝を代行させようとしたことだ。確かに、かつて、いわゆるメインバンク制が堅固だった時代には、金融機関は自らを半ば公的機関視していた。政策責任者に近い意識で、金融システムの健全性確保を担う。

 そのような自負に基づいて融資先企業の経営に目を光らせ、口出しをする。そこに、自分たちの公益の守り手としての社会的使命を見いだしていた。

 これ自体は、決して悪いことだったとは言えない。公益のために頑張るというのは、いたって立派な心掛けである。グローバル競争に振り回されてばかりいる今日の金融機関たちにも、少しは、かつての気概が戻って来てほしい面はある。

 だが、今回のように、政府のどう喝請負人と化すことを求められる中で、見当違いの公益の番人意識が芽生えてしまっては大変だ。

 不発に終わったとは言え、われわれは、菅政権の「おどし委託大作戦」を決して忘れてはいけない。

(浜矩子、同志社大・大学院教授)