夢見た舞台を裏方で参加 国立競技場清掃スタッフ・比嘉正樹さん<五輪支える熱情>8


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働き場所となる国立競技場を背に笑顔を見せる比嘉正樹さん=17日、東京都新宿区

 1996年のアトランタ五輪の男子マラソンの代表候補に残った比嘉正樹さん(51)=宜野湾市=は、出場を夢見た五輪の舞台に裏方として参加する。担当するのは、大会期間中の国立競技場などの清掃業務の管理だ。「選手が競技しやすい空間をつくりたい」。元トップアスリートとして選手たちの苦労が身に染みて分かるからこそ、ひのき舞台を支えたい思いは人一倍強い。

 宜野湾高時代に海邦国体の1万メートル代表に選ばれ、山梨学院大では箱根駅伝で同大の初優勝に貢献。卒業後は資生堂の所属選手となり、アトランタ大会の代表選考を兼ねた95年の北海道マラソンで日本人トップの3位に。候補選手に名乗りを上げたが、他の選考大会で結果がふるわず、五輪出場はかなわなかった。

 選考から漏れた時を「悔しかった。1週間くらい放心状態で、次の目標を見つけるのも大変だった」と振り返る。自らの限界に挑み、出場を目指した五輪は今でも「特別な大会」だ。母国開催の東京五輪は「雰囲気を味わいたい」と観戦するつもりだった。

 しかし、大会はコロナ禍で1年延期に。ボランティアの辞退も相次ぎ、中止もささやかれた。「裏方でもいい。何か自分にできることはないか」。何年も前から東京五輪に向けて努力を重ねてきた選手の心境を想像すると、居ても立ってもいられなかった。6月中旬、組織委員会の短期の職員募集に応募し、今月から勤務を始めた。

 主な職場は国立競技場。業者の清掃や消毒作業を管理し、選手や競技役員、メディア関係者が使用する場所を常に清潔に保つ。無観客開催が決まり「少しさびしいけど、選手にとっては最高の舞台。その環境を整えたい」と熱く語る。

 引退後、市民マラソンの大会運営などに関わり、現役時代多くの人に支えられていたことを実感したという。世界最大のスポーツイベントの一端を担うことで「スポーツ界に恩返しがしたい」と照れくさそうに話す。「五輪に出られるのは一握りの選手。実力を出し切ってほしい」。快活な言葉に裏方としての決意がにじんだ。

 (長嶺真輝)