「満点で伝説を」まな弟子・喜友名と極める 空手形監督・佐久本嗣男さん<五輪支える熱情>10


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喜友名諒と共に金メダル獲得を目指す佐久本嗣男さん

 東京五輪で初めて採用された沖縄発祥の空手。全競技を通し、日本勢で最も金メダルに近いと目される男子形の喜友名諒(劉衛流龍鳳会)と二人三脚で頂を目指すのは、形監督として帯同する師匠の佐久本嗣男さん(73)だ。「沖縄の伝統空手で満点を取り、伝説をつくりたい」。劉衛流の宗家二代・仲井間憲里(のりさと)の誕生から200年余り。先人たちから受け継がれた洗練された技を五輪の舞台で披露するため、日々の指導に向かう。

 一子相伝だった劉衛流だが、1970年に佐久本さんが四代・憲孝(けんこう)に師事し、門戸が開かれた。猛烈な稽古の末、80年代後半には世界選手権3連覇を含め、世界大会で個人形7連覇の偉業を達成。指導者としても多くの世界王者を輩出してきた。

 喜友名が中学3年のころから指導する佐久本さん。今や世界に敵無しの強さを誇るまな弟子について「努力の天才。絶対に手抜きをしない」と手放しで称賛する。本番が迫るが、今も稽古はいつも通りの内容だという。形に込められた意味を探究し、技を極めていくことが本質にあるため「空手には終わりがない。五輪は一つの通過点」と捉え、共に汗を流す。

 一方で、金メダルへの思いは強い。大きな理由に、3年前に亡くなった喜友名の母との約束がある。「生前、必ず勝たせると伝えていた。お墓に金メダル獲得を報告するまで終わりじゃない。喜友名を男にしたい」と力を込める。後進に刺激を与えることも期待し「喜友名が一等になったら、沖縄の子どもたちが自分も世界に出たいと思える。夢をつなぎたい」と理想を描く。

 64年の東京五輪では聖火ランナーを務めた佐久本さん。自身が一線で活躍していた頃に五輪があれば「もちろん出たかった」と言うが、喜友名が優勝すれば「指導者冥利(みょうり)に尽きる。自分にとっては最高のプレゼント」と相好を崩す。「今やってることをやれば勝てる。正月を楽しみにする子どものような気分ですよ」と話し、くしゃっと笑った。

(長嶺真輝)