琉球王国「江戸上り」とは?「東海道の一大エンタメ」 歴史研究家・上里さん解説


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琉球王国時代の「江戸上り」について解説する琉球歴史研究家の上里隆史さん=17日、神奈川県川崎市の東海道かわさき宿交流館

 【神奈川】琉球王国時代の「江戸上り」について学ぶ講演会が17日、川崎市の市民交流施設「東海道かわさき宿交流館」で開かれた。東海道五十三次「川崎宿」があった川崎市では、東海道にちなんだ講演会を開催している。この日は、琉球歴史研究家の上里隆史さんを講師に迎え、100人が耳を傾けた。

 上里さんは「江戸上り」と言われる琉球使節団について「『江戸立ち』が本来の言い方」と説明した上で、独立国家であった琉球王国と薩摩の複雑な関係や幕藩体制国家の中で、琉球に対する庶民の関心の高さについて錦絵や歴史的文献を用いて紹介した。

 上里さんは江戸上りが「東海道の一大エンターテインメントだった」とし、見物人があふれる街道の様子など、当時の印刷物から解説した。本土でなじみがある参勤交代と全く異なる様相に、会場からは何度も驚嘆の声が上がった。

 来場者の中には「祖父が江戸上りに楽童子として参加していた」と言う人もいた。峰村一江さん(78)は、楽童子が美男子で歌舞音曲や書芸にも秀でたスーパーエリートだったと聞いて「(祖父は)箏の名手で1842年に14歳で参加したと聞いている。少年が何のために参加していたのかと思っていたが、美少年だったとは、今とても驚いている」と話し、会場を沸かせた。
 (山川夏子首都圏通信員)