絶対王者・喜友名の「戦友」が語る切磋琢磨の歳月


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空手1シリーズA沖縄大会男子団体形で優勝した(左から)金城新、上村拓也、喜友名諒=2017年11月、那覇市の県立武道館

 百戦錬磨の絶対王者・喜友名諒が最も心に残っている国際試合に挙げるのは2016年、オーストリアでの世界選手権団体形の初優勝だ。戦友である金城新(山内中―美来工科高―沖国大出)、上村拓也(金城中―興南高―沖国大出)と積んだ8年間の努力が報われた結果だった。この大会で個人2連覇を達成した喜友名だが、当時「団体の方が何倍もうれしい」と語っていた。

 喜友名が最年長で、1学年下に金城、さらに一つ下の上村。3人とも中学時代に劉衛流龍鳳会の佐久本嗣男会長の門下生となった。

 金城は中学2年の冬、佐久本氏の道場を初めて訪ねた日を鮮明に覚えている。佐久本氏の指導下、女子団体形で世界を制した豊見城あずさらが形を打っていた。「熱気で窓が曇って見えた。自分もここまでやってみたい」。圧倒されると同時に入門を決意した。

 上村が門下生となったのも中学2年の冬だった。全国中学選抜での準優勝をきっかけに佐久本氏と知り合った。上村は「全国のその後を描けていなかった。世界への道を示してくれた」と振り返る。世界一を目指して日々の稽古で高め合った。

 

世界空手選手権の男子形金メダルに輝き、祝福の花束を受け取る(左から)喜友名諒、上村拓也、金城新=2016年11月、那覇市の那覇空港

 3人が団体を組んだのは2009年の夏。佐久本氏に呼ばれ「本格的に世界を目指すか」と語り掛けられた。「お願いします」。声をそろえて答えた。

 その翌年、団体形で初めてナショナルチーム入りを決めた。12年のプレミアリーグインドネシア大会で初めて団体形で世界大会に出場し、3位。同年、プレミアリーグトルコ大会で世界一となった。

 しかし国内大会では帝京大が立ちふさがった。全日本大学選手権は11、12年連続で帝京大に破れて準優勝。14年の世界選手権(ドイツ)に出場したのは帝京大出身のメンバーだった。

 「勝つまでやるぞ。絶対諦めるな」(佐久本氏)。号令の下、長い時は10時間にも及ぶ猛特訓を続けた。16年、ついに代表として初出場を決めたのが、冒頭の喜友名の心に残る世界選手権である。フランスとの決勝は5―0の圧倒だった。金城は「7年間代表選考を勝ち取れず悔しい思いをしてきた。力を合わせた結果だった」、上村は「周囲は仕事を始めて自分は空手だけしていた。チームだからこそうれしい頂点だった」ともに最もうれしい優勝として振り返った。

迫真のアーナンの「分解」の演武で優勝した喜友名諒(左)、上村拓也(上)、金城新(右)=2017年11月、那覇市の県立武道館(新里圭蔵撮影)

 東京五輪に向けてはそれぞれが代表を目指して世界大会に出場してきた。19年12月、プレミアリーグスペイン大会の3位決定戦で金城と上村が対戦し、金城が0・26点差で勝利した。この段階で代表を争う五輪ポイントレースで2位以下が1位の喜友名に追いつけないことが確定。喜友名は代表として確定し、金城と上村は応援する側に回った。

 年が明けて20年1月の取材に金城は「諒先輩がいなかったらここまで来ることはできなかった」と晴れ晴れとした表情。上村は「3人で休みなく稽古して家族よりも一緒に過ごしてきた。次の世界選手権も3人で連覇したい」と語った。

 代表に確定し、注目度が上がった喜友名は、取材時に2人を気遣うような言動を見せることがあった。3人が切磋琢磨(せっさたくま)したからこそ、盤石となったそれぞれの礎。互いだけが知る鍛錬の歳月が道を究める者同士の絆ともなっている。

(古川峻)