沖縄の五輪史 72年の具志堅、新垣をはじめオリンピアンは27人


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ミュンヘン五輪ライトフライ級1回戦 ブルガリア選手と激しく拳を交わす新垣吉光=1972年8月28日、西ドイツのボクシング・ホール(沖縄県体育協会史より)

 開催中の東京大会を含め、これまで五輪に出場した県勢は計27人。1972年のミュンヘン大会で、陸上男子三段跳びの具志堅興清とボクシング男子ライトフライ級の新垣吉光が県勢初のオリンピアンとなった。それから49年の時を経て、ついに初の金メダリストが誕生した。

 今回の東京大会開幕まで夏季、冬季を通じて金メダル獲得選手がいないのは沖縄と鳥取のみだった。3日のボクシング女子フェザー級決勝で鳥取県出身の入江聖奈(日体大)が金メダルを獲得。喜友名の優勝で沖縄にも金メダルがもたらされた。

 76年モントリオール、80年モスクワを除き、84年ロサンゼルス大会以降は毎大会、選手を輩出してきた。初の入賞者はロス大会重量挙げ男子67・5キロ級で5位に入った平良朝治。メダリストは92年バルセロナ大会の体操男子で、ともに興南高出の知念孝と松永政行が団体で銅を獲得。松永は同大会の種目別平行棒でも銅を獲得している。今回の東京大会ではレスリング男子グレコローマンスタイル77キロ級の屋比久翔平が銅を獲得した。

 最多出場者は2012年ロンドン大会から3大会連続で自転車男子ロードレースに出場した新城幸也。2大会連続は平良朝治(84、88年)、近代五種の泉川寛晃(84年、88年)カヌーの當山克也(88年、92年)、重量挙げの吉本久也(96年、2000年)、糸数陽一(16年、21年)。

 過去には、戦前に陸上男子円盤投げの日本記録を3度更新した宮城栄仁が、戦争で中止となった1940年の東京大会で当時代表入り確実と目されていた。「幻の沖縄初オリンピアン」として語り継がれる。

 27人の県勢オリンピアンのほか、県関係では52年ヘルシンキ大会では両親が沖縄出身であるハワイ2世のヨシノブ・オヤカワが競泳男子100メートル背泳ぎで金を獲得。84年ロス大会では同じく両親が沖縄出身で、大阪生まれの具志堅幸司が体操男子総合の金を含め、金二つ、銀一つ、銅二つを獲得している。

ミュンヘン大会開会式での陸上三段跳びの具志堅興清=1972年
ソウル大会の代表に決まり、会見に臨むカヌーカナディアンシングルの當山克也=1988年7月、県体協会館

ロサンゼルス大会に向け調整する重量挙げの平良朝治=1984年
バルセロナ大会銅メダルの祝賀会で成績を報告する体操の(左から)松永政行、知念孝=1992年9月

シドニー大会の重量挙げ代表に決まり、仲嘉真理(左)とともに激励会に出席した吉本久也=2000年7月、那覇東急ホテル
ヘルシンキ五輪で優勝を飾り、表彰台の中央に立つヨシノブ・オヤカワ。左は2位でフランスのジルベール・ボゾン、右は3位で米国のジャック・テイラー=1952年8月1日、フィンランド・ヘルシンキ(本人提供)