翁長集落に武部隊が駐屯 大嶺管さん 捕らわれた日(1)<読者と刻む沖縄戦>


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大嶺管さん

 糸満市潮平の大嶺管(すが)さん(90)から「どうしても忘れることができないことがある。そのことをお伝えしたい」というお電話をいただきました。本島南部の戦場で妹とのつらい別れがありました。

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 大嶺さんは1931年10月、現在の豊見城市翁長で生まれました。旧姓は大城です。両親と5人のきょうだいがいました。第二豊見城尋常高等小学校(41年に豊見城第二国民学校に改称、現在の市立座安小学校)で学びました。

 「車なんかない時代。雨の日も雨具なしで歩いて学校に通いました」と語ります。天皇を敬う教育を受けました。「学校に行く時と帰る時、正門の天皇陛下の写真のある所で最敬礼をしました」。教育勅語の朗読もありました。

 翁長は豊見城の中でも規模の大きい集落の一つで、戦前はサトウキビや米、イグサの生産地でした。国民学校を卒業した後、大嶺さんは水くみなど家の手伝いをしていました。

 「豊見城村史」によると、日本軍の翁長駐屯は44年7月。本島南部に配備された第9師団(武部隊)の兵士が、民家や公民館を兵舎として使うようになります。「うぇーきんちゅ(お金持ち)の家に日本兵が入っていました」と大嶺さんは話します。第9師団の台湾転出後も別の部隊が駐屯しました。

 日本兵は空腹だったのでしょう。大嶺さんの母、大城カメさんは兵士のためにまんじゅうを作って売っていたことを覚えています。