東京五輪、沖縄県勢は最多「メダル3」 喜友名と平良が金、屋比久が銅


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空手男子形の表彰式で金メダルと母紀江さんの遺影を掲げ笑顔の喜友名諒=6日、日本武道館

 8日に全競技を終えた東京五輪。県勢は8競技に10人が出場した。獲得したメダルは金二つ、銅一つの計三つで、1992年バルセロナ五輪と並び過去最多タイとなった。県勢の活躍を振り返る。

 ハイライトは初採用競技である、沖縄発祥の空手の男子形。喜友名諒(興南高―沖縄国際大出、劉衛流龍鳳会)が予選から決勝まで4回の演武で全て、出場選手中唯一の28点台を記録し、圧倒的な強さで初代王者となった。72年に初めて県勢が五輪に出場してから、沖縄のアスリートが獲得した初の金メダルという偉業だった。

 野球では日本代表の「侍ジャパン」が予選リーグから無敗で頂点に立ち、平良海馬投手(八重山商工高出、西武)が県勢2人目の金メダリストになった。喜友名の3日前にレスリンググレコローマンスタイル77キロ級に出場した屋比久翔平(浦添工高―日体大―日体大大学院出、ALSOK)は3位決定戦を制して銅メダルを獲得し、その時点で県出身選手として初の個人種目のメダルだった。

7月28日のドミニカ共和国戦に登板した平良海馬=福島県営あづま球場

 沖縄のお家芸である重量挙げでは、2大会連続で出場した61キロ級の糸数陽一(豊見城高―日大出、警視庁)がリオ五輪と同じ4位、73キロ級の宮本昌典(沖縄工高―東京国際大出、同大職)が7位といずれも入賞を果たした。

 2人ともメダル圏内に入る力を持っていただけに、悔しい結果となった。

 自転車男子ロードレースでは日本の第一人者として欧州で活躍する新城幸也(八重山高出、バーレーン・ビクトリアス)が県勢最多となる3度目の五輪出場を達成。富士山麓など東京―静岡間の登りの多い過酷なコースを35位で走りきり、3大会続けての完走を果たした。

 男子走り幅跳びの津波響樹(那覇西高―東洋大出、大塚製薬)は沖縄初のオリンピアンである男子三段跳びの具志堅興清以来、49年ぶりに陸上で五輪に出場した。結果は自己ベストの8メートル23を大きく下回る7メートル61で26位。予選敗退となったが、沖縄の陸上界にとっては大きな一歩となった。

男子グレコローマン77キロ級で銅メダルを獲得し、メッセージが書かれた日の丸を掲げる屋比久翔平=3日、幕張メッセ

 開催国枠で出場した男女ハンドボールでは、男子の攻撃の司令塔である東江雄斗(興南高―早大出、ジークスター東京)が開幕直前のけがで2戦目まで登録メンバーを外れたが、第3戦から復帰して存在感を発揮した。女子では点取り屋の右サイド、池原綾香(那覇西高―日体大出、デンマーク・オーデンセ)が開幕戦から得点を量産。中盤以降は分析されてシュートに苦しんだが、相手との駆け引きなどで守備でもチームに貢献した。だが、男女とも1勝4敗で予選リーグ敗退を喫し、いずれも目標としていた決勝トーナメント進出はならなかった。

 カヌー・スプリントのカナディアンシングル1000メートルには當銘孝仁(沖縄水産高―大正大出、新潟・三条市スポーツ協会)が出場。実力を出せずに準々決勝敗退となり、悔しい結果となった。自身は今大会を区切りとして一線から退く意向を示した。

 その他、沖縄関係選手では両親が南風原町出身である柔道女子48キロ級の渡名喜風南(パーク24)が銀を獲得。母が石垣市出身である水球男子GKの棚村克行(ブルボンKZ)は毎試合、好セーブを連発した。

(長嶺真輝)